女同士の固い友情


 十二月の二十四日。一大イベントがある。
 染みるほどに寒さが冴える夕暮れ。町は鮮やかな光に飾られ、明るい歌が響き渡る。道行く人々の顔は明るく、これから過ごす大切な人との夜に期待をしているのだろう。
 この日、特に若者にとっては重大な日。
 そう――幸せそうな連中を尻目に、暗い顔で鍋をつつきながら、友人の裏切りを非難する日だ。
「今頃、デートでもしているんだろうなあ」
 鍋がぽこぽこと煮えている。一人一品具材を持ち寄りと言ったら、豚肉と鶏肉と肉団子と魚肉しか集まらなかった鍋が煮えている。誰かが「鍋ではなく肉汁だ」と言ったが、なんと言おうとこれは鍋だ。出汁は昆布とかつおで取った。
「今日なんて、どこに行っても混んでるだけなのに」
「寒いし、人多くてうるさいし」
「レストランだって待たされて苛々するし」
「だいたい、大昔死んだ人間の誕生日を祝う気持ちがわからん。だったら私のときも盛大に頼むよ」
 互いに顔を見合わせ、次々に口にするのは恨み言などではない。冷静的に今日と言う日を分析した結果である。地に足をついた冷静かつ客観的な思考である。鍋とは西洋にかぶれて浮足立った世の中に対するアンチテーゼ。どっしり構えて深い思索に浸るべし、という思いが込められている。しかし世の中全体が地面から数センチは浮いた今日、真っ当であるはずの我々こそが異端と思わないでもない。
 場所は私の狭い城。集まったのは、学科の女子の内のたったの四人である。が、もともと女子の少ない学科であるため、意外に招集率は高いのかもしれない。
「ユッコは高校のときからの彼氏と、地元でデートだって」
 そう言いながら肉を掴むのは、ショートヘアでつり目の女、京子だ。見た目通り、強情で少し性格がきつい。
「ナツはこの間できた彼氏だって。アレだ、この日のためにとりあえず作った感じの彼氏」
 肉を掴みながら言うのは七穂。いつもは巻いている髪を、今日は雑に結んでいる。
「りっちゃんと翔子はサークルだっけ? でもあの二人、そのサークルに彼氏がいるんだよね」
 肉を食べる藤野。この鍋には肉しかない。私もいたしかたなく、肉に手を伸ばす。
「大学に入って一年も経ってないのに、良く彼氏見つけられるよね、みんな」
「まったく」
 京子が同意する。
「安易な気持ちで彼氏を作ってるんだよ。本当に、この人とずっと一緒にいられるかって考えてないから、くっついたり別れたりばっかり」
 鍋の湯気が京子の苛立ちを乗せて天井に昇る。まだ六時前だが、窓の外は真っ暗になっていた。こたつの上にコンロを置き、鍋を一生懸命沸かしていても、冬の空気は室内から抜けきらない。こんな寒い中、町中を飾る電飾に誘われて外へ出るなど、虫のごとき愚かさである。
「ほんと、ばかみたい。彼氏がそんなに大切なの? 友情の方が大事でしょ」
 酒もないのに、七穂が酔ったような調子で言う。ジュースで酔えるなら安上がりだ。
「……ん? でも七穂って彼氏いるよね?」
 そこへ、藤野が爆弾を投下する。
「しらない」
「高崎君とつきあってなかったっけ。あれ?」
「しらん」
 七穂は手近な紙コップにオレンジジュースを注ぐと、ぐっと一息に飲み干した。困惑した顔をした、その手の情報に疎い藤野を、私と京子で引き寄せる。
「喧嘩したんだよ」
 同じ学科の高崎利一君と、七穂の交際は周知の事実であった。いつも女子塊となって講義を受けているものの、終われば七穂はすぐさま高崎君の元へ行く。うんざりするようなバカップルであった二人が、なにをどうしたか、クリスマスを前に大喧嘩をしたのだ。理由は知らないが、ミトコンドリアがどうだの、葉緑体がなんだのと言っていたので、たぶん大したことではない。
 私たちとしては、たとえ彼氏がいたとしても、断固二十四日に対しレジスタンスをする気概さえあれば一向に構わなかった。そして、七穂は集まった四人の中でも、一番に荒れていた。
「もー男なんてしらーん」
 今度は肉を口に放り込みながら、やけになったように七穂が言った。
「あたしには友だちがいるもん。これから、あたしは友情に生きるから。男なんて二の次、そうでしょ?」
「そうそう。友情って大事」
 七穂の話に京子が乗っかる。
「結局、最後に残るのは女友達なんだよ。男なんてみんな自分勝手だし。高崎君もひどいよ、こんな日に彼女を放っておいてさ」
「利一はひどくない」
 低い声で七穂が否定した。一瞬、空気が凍る。
「は、はい……ごめん」
 京子が小さく謝ると、私をちらりと見た。私は目を逸らした。
「高崎君はいーじゃん、七穂。今日は楽しんでいきなよ。忘れろ忘れろ」
 空気を読んでか読まずか、藤野が助け船を出す。七穂の空の紙コップに、今度は炭酸を注いだ。
「もちろん。利一のことなんてぜんぜんどうでもいいし。今日はそう言うの抜きで楽しみたいもん」
「うんうん。たまには別れ別れもいいもんだよ。高崎君だって案外、今日は男友達と彼女とかそういうの忘れてパーっとやってるかもね」
「利一は忘れたりしない」
「あ、うんごめん」
「っていうか、あたしにとって彼氏ってそんなに重要じゃない。喧嘩してからも話さなくて平気だし、謝りに来なくても気にしないし」
「喧嘩して謝りにも来ないのってひどいねー」
「ひどくない」
「ごめんなさい」
 ひとつ言葉を吐くたびに、ひとつ謝罪が口を出る。そんな軽妙な会話が弾む中、不意にインターホンが鳴った。ぽーん、と単調だが耳障りな音が響く。
 誰かが訪ねてきたらしい。助かったとばかりに私は立ち上がり、短い廊下を抜けて玄関へと向かった。
 暖房の届かない玄関は冷たい。私は震えながら、冷たいドアノブを握り、外へと押した。
 そこに立っていたのは、寒そうにコートのポケットに手を突っ込んだ、見覚えのある男だった。すっかり暗くなった空の下で、鼻を赤くして白い息を吐いている。
「……高崎君?」
「急にごめん、成瀬さん。あの、七穂がここにいるって聞いてきたんだけど」
 高崎君は私の後ろの、鍋の煮詰まる部屋の中を見ていた。部屋の奥には、何事かと覗きこむ藤野と京子と、七穂の姿があった。
「利一!」
 七穂はこたつから抜け出すと、小走りに玄関までやってきた。
「なにしに来たの。あたしまだ、怒ってるんだよ」
「なにって、迎えに来たんだよ」
「迎え?」
「クリスマスだし、俺はお前と過ごすつもりだったし」
 さらっと言ってのけた高崎君とは逆に、七穂の顔が赤くなる。
「そ……その前に言うことあるんじゃないの?」
「うん。悪かったよ。俺もむきになってた」
「…………あたしも……」
 七穂は私を押しのけ、高崎君の正面に立つ。私は一歩引いて二人の姿を見守りつつ、クリスマスに抵抗するために開いた会合の日に、どうしてクリスマス的現実を目の当たりにしているのだろうと考えていた。
「あたし、意地はってて……あたしこそごめん」
「いいよ、俺、七穂のそういう性格知ってたし。ただ、あんまりミトコンドリアミトコンドリア言うから、なんか腹が立って……妬いてたのかも」
「利一……もう!」
 随分と奇抜な喧嘩をしていたらしい。二人はひとしきり互いの非を認め合い、謝罪をすますと、「よし」と呟いた。
「成瀬、あたし行くね」
「ん?」
「利一んとこ行くから。途中抜けでごめん」
 ああ、うん、と答えつつ、私は先ほどまで酔ったように主張していた七穂の「男より友情が大事」という言葉を思い返していた。友情とはいったい。
 七穂は一度部屋の奥に戻り、コートと荷物を持ってくると、鮮やかに笑った。
「じゃあね」
 そして風のように去って行った。
 私と、残った女二人の心の隙間に、冷たい風が吹き抜ける。

「裏切り者」
 京子が言った。
「クリスマスイブだからって、そんなにあっさりと自分の信念を曲げて謝るなんて、軟弱以外の何者でもない。軟弱」
 鍋はますます煮え立つ。具材の追加を行い、長い夜を備えるには十分だった。もっとも、具材はやはり肉である。
「もうね、あたしは誰から誘いが来たって絶対に抜けない。誰からも誘われないけどさ」
 残った女三人の中でも、特に京子の恨みは強いようだった。七穂に変わって会話の主導権を握ると、食べるのも忘れて語りだす。男と言うやつは、いつもいつも、といった具合だ。
「京子、普通に彼氏いそうなのにね」
 京子の語りを聞き流しながら、私はぽつりと呟いた。京子は容姿にあまり気を使わないものの、なかなかの美人だ。化粧気がなくとも見栄えのする顔立ちをしているし、背は高くスレンダーである。性格は少々アレだが、しっかり者で面倒見も良い。
「いない」
 即答だった。
「いないってか、いらないの。あたし一人で平気だし、将来はそこらの男より、あたしの方が稼ぐようになるし、たぶん」
「はあ」
「だいたい、あたし束縛されるのとか嫌いだし。面倒じゃん、彼氏だからってずっと一緒にいるのって。無理して彼氏なんて作ったっていいことないし――」
 京子の声は、突然鳴り出した携帯電話の音によって阻まれた。みんな一斉に自分の携帯をチェックする。
「あ、あたしだ」
 鳴ったのは、京子の携帯電話だった。ごめん、と言って京子は携帯電話を手に、廊下へ出ていった。
 そして戻ってきた彼女の顔は晴れやかだった。
「バイトの先輩に誘われたから、あたし行くわ」
「男? 女?」
「男」
「裏切り者!」
 藤野が叫んだ。京子は痛くも痒くもないと言いたげに、不敵に笑っていた。
「まあ、誘われたものはしかたないじゃん。ちょっと気になってた人だし」
「さっきまで自分で言っていたことは……」
「なにごとも臨機応変」
「わ、私たちの友情は」
「ごめん」
 京子は軽快に笑った。
「友情は裏切るためにある」
 友情っていったい。

 結局残ったのは、藤野と私だけだった。半分になってしまった部屋で、私たちは残り物の鍋をつつきながら、むなしくクリスマスへの抵抗を続けていた。充填した鍋には具が溢れ、二人で食べるにはいささか無理があるように思われた。
「成瀬は裏切らないよね?」
 しんみりと言った藤野に、私は重く頷いた。裏切ろうにも相手がいないのだ。
「まあま、じゃあ飲もうか」
 藤野はそう言って、私にジュースを注いでくる。私も大人しく彼女の酌を受けた。どこからか、クリスマスソングが聞こえてくる。
 ぽーんと、本日二度目のインターホンが鳴ったのは、そんなときだった。今度はいったいなんだ、と私はこたつを抜けて立ち上がる。私のアパートは、それほど頻繁に人の出入りはないはずだ。
 一人になるのが寂しいのか、廊下まで藤野がついてきた。背後から視線を感じつつ、私はドアを開ける。
 開けた瞬間、風が吹き込んできた。空は暗く、星が見えた。アパートの狭い通路には、ひとり、よく知った姿があった。
 マフラーに口元をうずめ、どことなく緊張した様子で私を見下ろすパーカーの男――というよりは、少年と言った方が近い。ピンと跳ねた黒髪が風に揺れる。どこかの帰りなのだろうか、重たげな鞄と、大きめのビニール袋を下げている。
「…………りゅう、せい」
 劉生、掠れた声で私は言った。どうして、と心の中で続ける。どうして、劉生がここに?
「……久しぶり」
 劉生はぎこちなく言った。
「今日、塾の帰りで、ちょっと近くまできたんだ。それで、明かりがついてたから」
 鞄は、塾での勉強道具だろうか。しかし、劉生が通う塾は、この辺りにはないはずだ。むろん、帰り道に通るはずもない。
「それで、顔が見たくなって……上がっちゃ駄目かな」
 私は答えられなかった。無意識のうちに体が強張っている。なにを言うべきか、言葉も浮かばない。脳が動くのを止めてしまったようだった。劉生は私の返事を待って黙っている。風が冷たい。永遠に、私はこの寒さの中で立ちつくすことになるのかと思った。
 しかし、私の代わりに言葉を発したやつがいた。
「裏切り者!」
 は?
「なんだよー、成瀬! 裏切り者! 一人身なの私だけじゃん。私がかわいそうじゃん!」
「はあ、あの、なに?」
「しかも結構なイケメンだし! うわー、今までで一番悔しい、ずるい!」
 私の背後へやってくると、藤野は背中をぱたぱたと叩いた。あまり痛くはない。
「なんだよなんだよ、みんな私にだけ黙ってて。彼氏いんじゃん、ずるい、ハブにされた! 私かわいそう!」
 私は劉生を見上げ、それから藤野に目を移した。大いなる誤解である。
「彼氏じゃないよ」
「うそだ」
「弟」
 藤野は顔を上げ、私と劉生を見比べた。
「うそだ、顔の偏差値が違う!」
「黙れ」
 劉生は苦笑した。
「弟です。成瀬劉生。今日は、ちょっとねーちゃんの様子を見に来て。……えっと、ねーちゃんの友達ですか?」
「裏切らない友達です」
 今日、さんざん裏切られた藤野が言う。なんのことかわからず、劉生は首を傾げながら持っていたビニールの袋を差し出した。
「あの、良かったらケーキ買って来たんで、ねーちゃんと食べてください。今日、イブだから」
「ケーキ?」
 藤野は素直に受け取りつつ、袋の中を覗いた。私もついでに盗み見る。中にはコンビニで売っているような小さなホールケーキがあった。
「……もしかして、上がってくつもりだった? 私、邪魔かな」
 私と劉生を交互に見て、藤野が珍しく遠慮したようなことを言う。劉生はすぐに首を横に振った。
「ねーちゃん、今日は一人かと思ったから。友達と一緒なら安心しました。俺、帰ります」
「いやいや、こんなんもらって帰らせられないでしょ」
 一礼し、立ち去ろうとした劉生を藤野が引きとめた。なんて余計なことを。
「ちょっと暖まって、ケーキ食べていきなよ」
「藤野、勝手に決めないでよ」
「いいじゃん。成瀬、ケーキだけもらって弟追い出すの?」
「追い出すって」
 言葉と同時に白い息が吐き出される。夜が濃くなるにつれ、寒さも一層増していた。指の先が赤く、感覚が無くなり始めている。
 私はちらと劉生を見た。塾からここまで、どれほどの距離があっただろうか。ケーキまで買って、もしも私がいなかったらどうするつもりだったのだろう。寒い中、歩きか自転車か知らないが、黙って元の道を戻ったのだろうか。
「いいよ、俺、帰ります。……ねーちゃんの顔見れたし、来てよかった」
「…………り」
 劉生、言おうと思って、口が動かない。劉生は少し俯いてから、何も言わない私に一度目を向けると、立ち去ろうと体をひるがえした。
 背中で藤野がぽこぽこと叩いてくる。「帰していいの?」「非情な姉」「弟でもイケメンならやっぱり裏切りだ」などと囁き声も聞こえた。
 凍りついた私を動かしたのは、さらに背後から聞こえた、鍋の噴きこぼれる音だった。見れば、日にかけっ放しだった鍋から湯が溢れている。藤野が慌てて火を消しに向かった。
 私は逆に、玄関から裸足のまま飛び出した。
「劉生!」
 劉生は、通路の端の階段を降りようとしているところだった。私の声に気がつき、足を止めて振り返る。
「……劉生、あの」
 息を吸う。冷たく乾いた空気が体の中に満ち、緊張した私の心を、少し落ち着かせたように思われた。
「上がって行きなよ。肉汁、二人じゃ食べきれないし」
 劉生は不意をつかれたように目を丸くした。その表情が、徐々に緩み始める。
「…………肉汁?」
 寒さも忘れるくらい、屈託なく、劉生は微笑んだ。



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