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 あらためて、隼人さん達がこの学校の女の子達にとって、所謂「恋人ロボット」である事を認識させられた。隼人さんの態度もそうだが、何より英理子ちゃんが、相手を本当の恋人のように扱っている。それは学校側の方針であり、隼人さん達の存在意義でもあるのだけれど、どうにも釈然としなかった。本当に、それでいいのだろうか。 
 大根の皮を剥きながら、ずっとその事ばかり考えていた。透けるほど薄くむき続ける行為が、催眠術の様に私の頭から他の事を取り除いてしまった。B棟の、誰もいない昼の食堂で、私は悶々としながら大根を細くしていった。 

 大根が鉛筆よりも細くなった頃、食堂の扉が開く音を聞いた。 
「舞? もう夕飯作ってんの? 早すぎじゃね?」 
 声の方向へ顔を向けると、もう一人の食事当番である木下愛海が立っていた。いつも丁寧に巻いてある髪を、今は無造作に後ろで縛りつけている。愛海らしくもないくたびれたジャージを着ているという事は、部活が終わって帰ってきたところだろう。愛海もバスケットのスポーツ推薦で、高校のときに外部から学校に入ったくちだ。 
 愛海は調理場へ入って来ると、私を見て唖然としていた。 
「何やってんの舞、これ全部剥いたの!?」 
 気がつけば、薄く途切れることなく剥かれた大根がざるの中に溢れていた。これには、愛海以上に私が驚いた。今までどんなに練習しても、必ず一メートル手前で切れてしまったのに。我ながら感心して、絵巻物のように続く大根を検分した。 
「今日は刺身にしようか」 
「馬鹿な事言わないでよ。あたしが魚捌けるわけないでしょ」 
「いや、捌くのは私がやるよ。愛海は汁物とつけあわせをやって」 
 寮の購買部に行って、魚買って来ないと。すまし汁も作って。副菜として、あと一品欲しいところだけど……。 

「舞さあ、さっき何考えてたの」 
「さっき?」 
 午後五時を過ぎていた。食堂に西日が射し込んでいる。そろそろ灯りを点ける時間帯だ。 
 私が魚を捌く後ろで、愛海は炊飯器を弄っていた。背中あわせに作業をしながら、愛海が私に尋ねる。 
「大根剥いてた時。あれ、何かヤバい人に見えたけど」 
「やばかった?」 
「誰もいないところで延々皮を剥き続けるって、変でしょ」 
 あのときは、英理子ちゃんと隼人さんの事しか考えていなかった。大根を剥いていた記憶も、実はかなり曖昧だ。英理子ちゃんの部屋を出たのが十一時半。愛海が来たときは確か三時くらいだから、ロスタイム含めても三時間は包丁を握っていた事になる。自分の事ながら、思い浮かべるとぞっとする。 
「大したことを考えてたつもりじゃないけど」 
「大したことなくて、これかあ」 
 愛海はざるに溢れた大根を見た。これは全部細く切って、刺身のつまにする。尋常ではない量だが、二十人もいれば誰か食べてくれるだろう。 
「なんて言うかさ、風邪流行ってるみたいでしょ?」 
 どう話したらいいものか。とりあえず、当たり障りのないところから言ってみる。 
「うちのクラス、今日休みになったんだよね」 
「うっそ! あたしのところはふっつーにやったけど」 
「それにしては帰ってくるの早くない?」 
 三時に授業も部活も終わるものか。 
「途中で抜けたの! 来月夏大会だし。で、部活も食事当番だから途中抜け。ご飯食べたらまた部活だよ。あーあ」 
 そう言えば、愛海はスポーツクラスに居るのだった。普通のクラスとは違って、強豪運動部員のレギュラーばかりを集めたものだ。橘さんもそこに居る筈だ。ここは、授業よりも行事よりも部活が優先されるという、私からは実に縁遠いクラスである。 
「で、風邪がどうしたの」 
「うちのクラスの南条さん、って分かる?」 
「知ってる、激美人な金持ちの子でしょ。うちのクラスのレズな子が好きだって言ってた」 
 やっぱり英理子ちゃんは有名なのだな。美人で金持ちで、その割に気さくだから。女の子だって彼女を好きになってしまうかもしれない。……いや、なんだって? 
「衝撃の事実を聞いた気がする」 
「なんか、結構いるみたいだよ。ま、その辺はいいから次、次」 
 私は首を傾げながらも、促されるままに話をする。 
「南条さんも風邪引いてたみたいで、部屋まで送って行ったんだよね。で、そこでロボット借りて来いって言われて。まあ、借りてきたんだよね、隼人さん」 
「おっ、流石南条。待ちなしか」 
「えーと、それで」 
 そこで私は言葉に詰まった。何が言いたいのだろうか。自分でも、いまいちよく分からない。ただ、なんとなく釈然としない。それくらいの違和感なのだ。 
「それで、……ああ、ロボットの口調って、人によって違うの?」 
 結局、口から出たのは思っているものとは別の事だった。愛海は少し怪訝な顔つきをしたが、すぐに戻る。あまり気にしていないようだ。 
「違うっちゃ違うけど、デフォでは敬語でしょ」 
「ん、うん?」 
 愛海の言いたいことが、ちょっと良く分からない。デフォってデフォルトのことだろう、とは分かるけど、前と後ろの繋がりが見えないというか。 
「あれ、もしかして舞、ロボットに性格設定できること、知らない?」 
「はあ、全く」 
「寮の事務室にある機械で、結構細かく設定できるよ。名前の呼ばれ方とか、態度とか」 
 少し想像してみた。例えば、まあ、隼人さんでなくてもいい。そうだな、悠斗さんの設定をするとき、機械に向かって理想の恋人の性格を設定する。優しい、頼れる、自分にだけ甘える、みたいなことを、寂しい一人身の女がにやけながらするわけだ。 
 絶対無理だ。別に今のままでも不満はないし、みんな親切だ。いや、若干興味はあるけれど……。 
「愛海は設定してる?」 
「あたし? やってるっちゃやってるけど」 
「どんな?」 
 聞いても、なかなか愛海は返事をしなかった。どうしたのだろうかと、別の作業をしているはずの愛海を振り返る。彼女は、煮詰まる鍋を見つめながら、口を尖らせていた。私と、私を窺う愛海の目が一瞬交わる。 
「恥ずかしいじゃん」 
 そう言い捨てると、すぐに愛海の方から視線を外した。 
「気持ちは分かるけど」 
「分かるから嫌なんだよ。そんな事聞くなよ、舞」 
「いやいや」 
 何とか聞き出そうと思ったのだが、結局愛海は誤魔化し切った。流石に半ギレになって脅されれば、私だって追及を止める。きっと、相当恥ずかしい性格にしたんだろう、と勝手に思う事にした。それからは、二人とも黙ったままだった。愛海から口を開くまでは、絶対に何も言ってやらない。 


 そういえば、学校のホームページにロボットの説明があったな。パスワードでロックされた、学生専用のページに、学校生活に必要な説明全般があったはずだ。そのなかに、ロボットについての欄を見た覚えがある。少しだけ見てみようか。 
 一仕事終えて、私は疲れ切った体をベッドに横たえていた。愛海は部活があるとか言って、後片付けも皿洗いもろくにせずいなくなったため、ほとんど一人で仕事をさせられた。もう何もする気が起きず、今は一人部屋でパソコンを弄っている。学校のホームページで次の外出許可日はいつかを調べながら、私はやはりロボットたちの事を考えていた。 
 ロボットの欄を開くと、頭が痛くなるほど大量の説明が出てきた。いちいち読む気はしない。性格設定の部分だけを探しだした。 
 優しい、逞しい、ぶっきらぼう、甘い、……。正直、気色悪いほど細かく分類されていた。この中にない物は、学生課に言って新しく性格を設定してもらうそうだ。それを組み合わせて、自分の理想の性格を作る。そこに、口調、癖、趣味、それに呼ばれ方なども追加される。これを設定するのは、確かにかなり恥ずかしい。趣味がもろにばれてしまう。何も設定しなかったら、敬語で呼ぶときは下の名前か。 
 ロボットに理想の恋人設定をしても、虚しいだけだと思うのは、私だけだろうか。絶対に結ばれるはずがない。それどころか、この学校を卒業すれば会えなくなるような仲なのだ。その後社会に出て、真っ当に恋人を見つけることができるのか。特に、生まれた時からこの学校に居るような人たちは。 
 私には分からない。私だって、五年間外に出ていないのだ。 



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