3−5
流行りのラブソングが、オルゴールの音となって店内に流れていた。初めて聞いたときは、恥ずかしく鬱陶しい曲だと思っていたけれど、歌詞とやかましい上に下手なバンドの演奏がなければ、流れるように綺麗なメロディーだった。
私はアイスティーを二つ、迷惑料代りに頼んだ。一つを英理子ちゃんに差し出し、自分の分にはミルクとガムシロップを入れてかき混ぜた。赤茶けた透明な液体と、白いミルクが均等に溶けあう頃、英理子ちゃんは絞り出すように声を出した。
「ごめんね」
私は首を横に振ったが、俯いている英理子ちゃんには見えないだろう。
「ごめんね」
英理子ちゃんはもう一度言った。私は、今度は声に出した。
「謝ることないよ」
私は自分のコップに口をつけた。甘過ぎる。だけど、苦いよりはましだった。
「でも、A棟はやっぱり英理子ちゃんには向いていないね」
冷たい表情も、作り笑いも、英理子ちゃんに似合わなかった。もっとずっと、英理子ちゃんは健全な心をしている。もちろん、私から見たらの話ではあるけれど。
「私ね」
英理子ちゃんはアイスティーには見向きもせずに、肩を震わせながら言った。
「B棟のみんなが怖いの。私の事、恨んでいるんじゃないかって。さっきはあんな風に言えたけど、たまに私も、城戸さんみたいに考えてしまう事があるの」
英理子ちゃんは、そこでやっと顔を上げた。まるで恐れるように、私を見つめてくる。
「見えない誰かの事を考えられなくなるの。駒みたいに感じて」
「そういう事は、誰にでもあるよ。私だって、地球の裏側で何人死んだとか、分からないし気にしないもん」
「だけど、舞ちゃんもB棟の人たちも、みんな目の前に居るもの」
夏の昼下がりに聞くには、私の胃がもたれそうなほど重かった。だけど、聞かないわけにはいかない。英理子ちゃんは悲痛な声を上げて、私に訴えた。
「みんな、私の事を憎んでいるんじゃないの? 舞ちゃんだって、仲良くしてくれているけど、本当は私の事を嫌っているんじゃないの?」
さっき枯らしたのだろうと思っていた涙が、また英理子ちゃんから溢れてきた。私はほとんど反射的に、だけど心の底から思っている事を言った。
「恨んでないよ」
雑木林の墓場の前では言えなかった事が、今度は簡単に口をついて出た。
「嫌いな子と仲良くはしないよ。英理子ちゃんは悪くない」
私はまた一口、アイスティーを飲んだ。甘さに慣れて、美味しく感じてきた。そういえば、甘いものは心を落ち着けるのにいいと、どこかで聞いたことがある。
「B棟においでよ、英理子ちゃん」
コップの氷が、音を立てて溶けた。泣き笑いの英理子ちゃんは、やっと気がついたようにコップに手を伸ばした。
「行きたい」
泣き過ぎて掠れた声は、いつものような明るい調子を取り戻していた。
「荷物、もう一回まとめておいて。悪いけど」
英理子ちゃんはそういうと、引っ越しの手続きのために一人で事務室まで向かっていった。B棟西は空き部屋が多いから、二、三週間すれば移動できるだろう。悠斗さんとは途中まで道が同じだったので、私はB棟へ戻る道を悠斗さんと十七と並んで歩いていた。
「ありがとうございます」
英理子ちゃんがいなくなると、悠斗さんはそう言って私に笑いかけた。あまりに唐突で心当たりもなく、私は口を開けたまま悠斗さんを見た。
「英理子さんは、ここで随分辛い思いをしていたみたいですから」
「そうなんですか」
「色が合わなかったようです。それで、隼人に救いを求めました。英理子さんが隼人への執着を無くすには、まだ時間がかかりそうですが」
私は抑揚少なく話す悠斗さんを見上げた。言葉にも表情にも変化はないが、英理子ちゃんへの慈しみを感じた。
「よく見ていますね。英理子ちゃん贔屓ですか?」
言ってはみたが、そんな事はないだろうと思った。ロボットは、全校生徒を平等に扱うように作られているのだ。だから、悠斗さんの言葉は意外だった。
「贔屓、そうですね。私は英理子さんを優先しがちです」
「そんな事ってあるんですか」
「傾向はあります。同じものが同じ条件で並んだ時、どちらを選択するかは個体によって違います。私は英理子さんを、隼人ならば」
悠斗さんは私の顔を見つめた。ロボットだとしても、私は緊張してしまう。悠斗さんは目元を緩め、私に問いかけるように言った。
「誰だと思いますか?」
知らない。知らないからそう答えるしかない。悠斗さんは相変わらず笑ったまま、玄関ホールまで歩いた。ここでお別れだ。
「では、失礼します。舞子さん、それに十七」
「いえ、それじゃさようなら」
私と悠斗さんが礼をしてから、一拍遅れて十七が頭を下げた。
暑苦しいB棟を自室に向かって歩きながら、私は返事を期待せずに呟いた。
「ロボットに傾向があるんだね。人間で言うなら、好みみたいな感じかな」
「……そうですね」
独り言よりも、返事がある方が良かった。一律で無感動なものでも、私は誰かに聞いてもらいたかった。だから声というものは音を発するのだ。
「英理子ちゃんが、悠斗さんの事を好きならよかったのにね」
「そうですね」
「そうしたら、両思いだ。そう言うのも変だけど、面倒な事もなかったかもね」
「そうですね」
私は違和感を覚えて立ち止まり、十七を見上げた。私が止まれば、十七も同じように足を止める。
「会話、出来てる?」
「そうですね」
違和感のない受け答えに違和感を感じたのだ。十七はいつの間にか、会話のタイミングを会得したのだ。
「すごい、十七すごい。話出来てるよ。変じゃない」
十七よりも、私の方が浮かれているみたいだ。私を見た十七は、ぎこちなく笑顔を作って言った。これも、変に間を開けていない。
「ありがとうございます」
はにかんでいるような気がした。私は十七に対して滅多に褒めないから、対応に困っているのかも知れない。そういうところも弟に似ている。
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お姉ちゃんへ
僕もついに陸軍兵として徴集されることになりました。しばらくは訓練生として研修し、のちにしかるべき場所に配属されることになります。僕はこの国のために戦う事が出来て光栄です、これを誇りに思っています。出来るだけ多くの兵を、この国のために刺し違えてでも倒します。上官殿も先輩方も親切で、心配いりません。お姉ちゃんも元気で頑張ってください。
辰哉
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