4−3

「できたよ」 
 そう言って、高木さんは私達の前にいくつものコードが絡み合った物体を出した。手帳に不気味な触手が生えたようなそれを、高木さんは慎重に乾電池に接続した。 
 高木さんに呼ばれて、私達は相変わらず昼間の三階ロビーに居た。個室だと狭くて暑苦しく、一階や二階だと寮の管理人が見回りに来る恐れがあるからだ。比較的安全で人が集まりやすい場所と言えば、寮生ならば誰もがここを示すだろう。 
 高木さん自作のラジオは乾電池に接続されると、足の裏でアスファルトの地面を擦るような、ざらりとした耳障りな音を発した。高木さんは耳を澄ませながら、どこに繋がっているか分からないつまみを調整していた。少し回す度に、音が波打つように変化した。細くなったり長くなったり、たまに完全に途切れたりした。 
「大丈夫?」橘さんは疑うような口調で言った。 
「平気」 
 そうやってしばらく見ていると、音が細くなりほとんど消えかけているところで高木さんは手を上げた。静かにするようにというジェスチャーに見えたので、私や集まった人たちは身じろぎもせず、息さえ殺した。高木さんは市販のスピーカーに回線を繋ぎ、今度は顔を上げて口に人差し指を当て、もう一度静かにするように示した。 
 ノイズが聞こえる。小さな音だった。耳を澄まして、音だけに神経を集中させる。 
「――軍部隊は……にて……滅。第二……も壊滅……に」 
 蟻の鳴き声の様に小さかった。だけど確かに聞こえる。外国の電波ではないが、学校に流れてくるニュースとも違っていた。 
「軍部の無線通信だ」 
 辰哉が口から零すように言った。 
「戦況報告だ、前線基地は壊滅……」 
「しっ!」 
 誰かが辰哉の言葉を鋭く遮った。今はそれよりも、この小さな音の方が重要だった。 
「――本部隊から……最新……、……に、細菌……をこれで…………」 
 これで。その後の言葉が完全に聞き取れなくなった。 
「コードが焼き切れた。負荷をかけ過ぎたみたい。ありあわせだからか」 
 風のない湖面の様に静かな私達に、高木さんは言った。大きな声では無いのに、耳が痛く感じた。暗闇から突然太陽の下に出るのと似ていた。 
「これだけじゃ分からないね」 
 高木さんは落胆したようだった。肩を落とすと、眼鏡も一緒にずれた。それを直しながら、私達に聞こえるように呟いた。 
「ダイオードが欲しいんだよ。インダクタと、あとは丈夫なコード。それでもう少しましなものが作れるんだけど、売ってないからね」 
 そんなもの、技術の時間に見かけたことがある程度だ。形だって思いだせない。誰かがポケットに入れていて、じゃあこれを使ってよ、というわけにはいかないのだ。 
「技術課の先生から貰えないかな」と誰かが言った。 
「無理だろうね。そういう事をすると用途も教えなければいけないだろうし、出来上がったものは多分提出させられる」 
 出来上がったものを見て、先生はどういう態度をとるだろうか。考えるまでもなかった。学長に報告して、関わった生徒全員が退学だ。 
「じゃあ」 
 私が声を出すと、ロビーにある瞳が一斉に私に向いた。緊張して声が裏返ってしまいそうだった。 
「パソコンを分解してみればどうかな。細かなパーツならいっぱいあると思うけど」 
 もちろん、私のパソコンが犠牲になるのは嫌だ。寮のコンピューター室に使われていないパソコンがたくさんあるはずだから、それを使えばいい。一人一台持つ時代に、コンピューター室はほとんど遺跡と化していたのだ。きっと一つなくなっても誰も気が付かない。 
 高木さんは目を瞬かせて私を見た。それからゆっくりと笑いだした。ケーキが焼けて膨らむような感じだ。 
「面白いね、それ。時計やラジオを分解するんじゃなくて、大物を狙うんだ」 
 高木さんは肩を震わせている。確かに、ラジオを分解すると言った方が手っ取り早いし筋は通っているかも知れないが、パソコンを分解してもいいではないか。そこまで笑われる要因が理解できず、私は不愉快だった。 
「私、まだまだ発想が甘いわ。ちょっとパソコン分解してくるよ」 
 高木さんはそう言い残して一人で去って行ってしまった。壊れた触手の生えた手帳と、ロビーに集まった暇人だけが取り残されてしまった。 

 今日の辰哉は短い髪を後ろで縛りつけられていた。淡いピンクのブラウスとシフォンスカートを纏った姿は、大人しい少女のようだ。よく見れば、薄く化粧も施されている。 
「祥子?」 
「そう、朝五時に僕を起こして、この格好にしてから出かけていった。仕事なんだって」 
 辰哉は空き部屋の一つを住まいとしていたが、そこに祥子が女物の服をいくつも持ち込んでいるのは知っていた。お気に入りのペットか人形の様に思っているのだろう。私は辰哉の肩を叩いてやった。 
 高木さんがいなくなってから、私達は雑談をする以外にすることがなくなっていた。何人かは部屋に戻り、何人かはいつもの様にテレビのチャンネルを回していた。 
「ねえ舞、さっきの音、聞き取れた?」 
 橘さんが焼き切れた線を弄りながら私に言った。私は肩をすくめて、今度は愛海を見た。 
「聞こえたけど意味分かんない。壊滅、本部隊、最新。あと最近? ……細菌?」 
 同じような単語しか聞き取れていないようだ。単語が分かっていても、間の繋げ方が分からない。繋げようによっては、全く別の意味になってしまうだろう。 
「たっちゃん、分かる?」 
 橘さんはそう言って辰哉を見た。辰哉も首を傾げている。私も同じように傾げた。 
「たっちゃん?」 
「あだ名だよ。辰哉じゃ男らしすぎてまずいでしょ。たっちゃんなら女の子でもありだ」 
「そういうもんですか」 
 確かに、ふとした時に辰哉などと呼んでしまっては女装も台無しだ。橘さんの言う事は間違っていないかも知れない。 
「細菌。多分細菌兵器の事だと思いますよ」 
 辰哉は眉間にしわを寄せて、思い出そうとしているようだった。 
「前に言われたことがあるんです。最新兵器の開発をしているって。色々あったんです。ランダムに軌道を変えるミサイルとか、三千度まで耐えられる合金ロボットとか、そういったものが。その中に、細菌兵器もあったような気がします」 
「そんなの全部嘘だよ、嘘」 
 橘さんは吐き捨てるように言った。不快そうに顔を顰めている。ラジオを持つ手にも力がこもっているようだ。 
「期待だけさせて裏切るんだよ。計画しかたっていないようなやつを、明日出来上がるみたいに言ってさ」 
 手帳サイズのラジオは音もなく曲がった。コードは全部外れて、再起不能になってしまっている。私は愛海と顔を合わせて、深く息を吐いた。ラジオは手帳サイズの、それなりに厚みのある鉄板でできていたのだ。 




inserted by FC2 system