4−4

 翌日、再び高木さんに会った。目当ては辰哉の様で、昼過ぎごろに私の部屋に居た辰哉の腕を引くと、有無を言わさず引っ張って行った。 
「高木さん、辰哉に何か用ですか?」 
 私は慌てて二人の後を追いながら問いかけた。高木さんは前を向いたまま、目線だけをこちらに寄越して言った。 
「大した用じゃない」 
「じゃあなんで連れて行くんですか」 
「力仕事だ」 

 高木さんはコンピューター室の前で止まった。扉を開けて、昼間でも暗い部屋の中へ入って行く。窓もカーテンも閉め切られた部屋の中は、蒸し風呂よりも暑く感じられた。 
 部屋の中には、壁の様にコンピューターが並んでいた。必要以上に体が大きい割に、今の半分の能力もない旧時代の機械達だ。その内の一つが、壁に開いた穴の様に壊されていた。無残な姿を晒している機械の前に高木さんは立った。 
「分解はしたんだよ」 
 高木さんは胸を反らしふてぶてしいとも思える態度で言った。しかし見かけとは裏腹に、口調は弁解めいていた。 
「だけど、よく見ていると細かい部品以外にも使えそうなものがあってさ。モニターがあれば、もっと工夫も出来るかも知れないし」 
 コンピューターは見える限りのすべてのパーツを切り離されていた。赤や青のコードだけが、まるで神経回路の様に繋がっていた。 
「持って行こうと思ったんだけどね」 
 高木さんはそう言って眼鏡を直した。一人では持てなかったのだろう。半袖から見える彼女の腕は貧弱で、肉というものがまるで付いていないように見えた。 
「ロボットどもには頼めないしね。男手があるのはいいことだよ」 
 しかし辰哉も、細くて弱そうな腕をしている。 

 辰哉は一番運び辛いモニターを持って行った。高木さんは丁寧にコードを取り外している。細々と取り残された部品を運ぶのは、必然的に私という事になった。 
 高木さんは部品それぞれを種類にわけ、小分けの袋に詰めると、私に渡した。 
「頼んだよ。私はもう少しここにいるから」 
 私は両手にいっぱいの荷物を預けられて、高木さんの部屋へ向かった。 

 夏のB棟寮は、ほぼ外部生の天下だった。内部生の大部分は実家に帰っているからだ。このときばかりは、寮の管理人たちも順番に夏休みを取っているため、見回りも圧倒的に少ない。深夜まで起きて遊んでいても、ロビーで騒いでいても、あまりうるさく言われる事もない。 
 高木さんの部屋は建物の南側にあった。西よりも南の方が良い場所だと言われているけれど、残念ながら部屋の作り自体は変わらなかった。プライドを満たすだけの序列なのだ。そういう事は、気にする人だけが気にすればいい。 
 南向きの廊下は夏の日差しが直接差し込んでいた。窓を全開にしてもカーテンで日差しを遮っても、全くの無駄な努力だった。微かに吹く風はカーテンを揺らすだけで建物の中には入って来られず、仕方がなく自分で扇げば疲れてかえって暑くなった。私は暑さに頭がとろけ出しているだろうと思った。汗に混ざって、脳みそも出て来ているのだろう。 
「あら、舞さん」 
 ぼんやりとした頭に、風鈴の音の様に澄んだ声が響いた。前を見れば、この暑苦しいB棟に最も相応しくない人物がいた。 
「砂川先生?」 
「ごきげんよう。夏休みは元気に過ごされているかしら?」 
 砂川先生は汗の一滴もかいていなかった。まるでその存在が自分の中にあることすら知らないかのようだ。 
「こんにちは。まあ、それなりに過ごしています。砂川先生はどうしたんですか。B棟に用事でも?」 
「ええ」と砂川先生は片手を頬に当てて言った。 
「補習授業を逃げ出した人がいるから、迎えに来たのよ。それに、いくつか言うべき事もあるの」 
 砂川先生は穏やかな笑みを浮かべながら私を見た。 
「舞さん、何か隠し事をしていません?」 
 射抜くような視線だった。私は飛び上るほど驚いた。弟の事が知られたのだろうか。それを咎めに来たのだろうか。表情に出さないように注意はしたが、代わりに汗が全身から滲み出てきた。暑さによる汗もあって、私は全力疾走した後の様に全身が湿ってしまった。 
「隠し事なんてありませんよ」 
「本当に?」 
「本当です」 
 無意識に、手に繊細な機械の部品を持っている事も忘れて握りしめていた。声が上擦ってはいなかっただろうか。男がいるなんて想像もつかないような態度を、今の私は取れているだろうか。怪しくはないか。喉が渇いて、口の中が張りついた。 
「そう」と砂川先生は口の端を上げた。その反応に、私は手に加えた力を少しだけ緩めた。 
「舞さんは嘘をつくのが下手ね」 
 頭から水を掛けられた気分だった。血の気が引く音が聞こえるようだった。一瞬の寒気の後に、全身が熱くなった。 
「嘘……ですか」 
「そう、ちゃんと手に持っているものも隠さなくては」 
「手」 
 私は知らず握りしめていた手を解いた。中から潰された部品が出てきた。私は高木さんに頼まれて、細かい部品を運んでいる途中だったのだ。その事をすっかり忘れていた。 
「何を作ろうとしているのかは分からないけれど、学内の通信以外は禁止されているのは知っているでしょう? 特に外国の電波なんかは、国の法律でも禁止されているのよ。妙な事は、あまり考えないでね」 
 砂川先生の表情に変化はなかった。静かに微笑みながら、何もかも見透かすように私を見ている。私は何も言えずにいると、砂川先生は首を傾げて言った。 
「じゃあ、私は行くわね。変な事をしないように。見逃すのは一度だけよ」 
 砂川先生はそのまま私の横をすり抜けて行った。その姿が私の後ろに回り、完全に視界から消えても私は息を出来なかった。心臓だけが、私の中で動いている唯一の場所だった。 
「舞さんは、本当に嘘が下手ね」 
 そう聞こえたのは、空耳かも知れない。恐怖のあまり作りだした幻聴かも知れない。何より今は水が欲しかった。 

 私は大慌てで高木さんの居るコンピューター室に向かった。分厚いカーテンに覆われた部屋に飛び込み、呑気にコードを弄る高木さんに私は絞り出すように言った。 
「高木さん、中止です。ラジオは中止。ばれた。先生にばれたんです」 
 息を切らす私を、高木さんは不思議そうに見た。 
「なんで」 
 私は砂川先生に会った事を、出来る限り細かく伝えた。次第に高木さんの眉間に皺がよってきた。話し終える頃には、高木さんは難しい表情で考え込んでしまった。それ以上は私が何を言っても答えてくれない。私は考え込む高木さんを残して、蒸し風呂の様な部屋から抜け出した。 



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