5−1

「じゃあ、ラジオは中止になったんだ」 
 そう言った愛海の顔は、日差しを浴びて影を落としていた。九月も終わりの、久しぶりに暑い日だった。太陽が最後の力を振り絞り、夏の終わりを飾ろうとしているようだ。 
 私達B棟の生徒は、大学の寮であるD棟にいた。A棟生はC棟にいるだろう。そこで、私達と同じように退屈な大学生活についての説明を受けているはずだ。昨日は大学構内の見学をした。明日は、サークルと部活動についての話を聞くことになっている。高等部二年生のための、強制参加の大学案内だった。 
 一階のホールで有志の寮生が話をしているのだが、あまりにも人数が多くて先頭の説明が後ろまで届いて来ない。わざわざ耳を傾ける気にもなれず、私は愛海と無駄口を叩いていた。弟の話や、英理子ちゃんが越してきた事、それから、ラジオの作成についてだ。 
「あれから高木が何も言って来ないから、おかしいと思ってたんだよ。そんなことあったんだ」 
「うん。愛海、前」 
 小さく聞こえていた声がなくなり、前に並ぶ人の塊が崩れ始めていた。これから何が起こるのか、話を聞かなかった私達には分からない。 
「これから何すんの?」 
 愛海は同じ寮内に居るはずの、顔も知らない人に声をかけた。彼女は愛海に振り向くと訝しげに眉を顰めてから、短く答えた。 
「グループに分かれて建物を見学するんです。一人ずつ大学の寮生が付いて」 

 彼女は四ノ宮咲と名乗った。長い髪を無造作に一つ束ね、服は三十人で着まわした後のように伸び切っていたが、眼鏡だけは洒落ていた。大学の医学部生で、今年卒業見込みだと言った。 
「就職先が決まらないんだけどね。まあ大したことじゃないよ」 
 そう言って屈託なく笑った。 
 私は十人ほどのグループに、愛海と共に混ざっていた。他のグループはすでに大学生に率いられ、寮のあちこちを移動しているのだろうが、私達はなぜか四ノ宮さんの雑談に付き合わされていた。次第に減って行く人の量を見ながら、私が不安を感じ始めたとき、四ノ宮さんはようやく本来の目的を思い出したように言った。 
「そろそろ行きますかね。結構人数いるけど、応援も呼んであるから」 
 四ノ宮さんはそう言って、指を弾いた。乾いた音が人の少ないロビーに響くと、少ししてから細長い人影が現れた。 
「彩樹、大学寮の専用ロボットさんだよ」 
 四ノ宮さんに言われて頭を下げたのは、私より幾分年上に見える男の人だった。ロボットの特徴である整った容姿を持ち、驚いた事に独特の服のセンスをしていた。ロボットはいつも、学校で支給される可もなく不可もない無難な格好をしている。それ以上の何かは無く、普通としか言いようがないものだ。しかし、彩樹さんは与えられた服を改造しているのか、奇妙な位置にボタンのついた服と細々としたアクセサリーを身につけている。趣味が悪いとは思わなかった。独特なのだ。 
 彩樹さんは黙ったままにっこりと笑った。酷く違和感があった。それが何なのかは、よく分からない。 

 端から端まで案内すると豪語した四ノ宮さんは、本当に隅々まで私たちを連れまわそうとしていた。一階の使用禁止のトイレから、五階の無人の部屋まで、細かく説明を入れながら分かりやすく案内するのだ。連れられた私達は疲れ切っていた。 
「こんにちは」 
 二階の幽霊が出るという噂の浴室を見ていたとき、私は彩樹さんに声を掛けられた。彩樹さんは私の肩を軽く叩き、振り向いた私に片手を上げて見せた。 
「君が舞ちゃん? はじめまして」 
 そう言うと、私の全身を値踏みでもするようにくまなく見まわした。私は居心地が悪く、いい気分もしなかった。 
「何ですか?」 
「いや、うん。そうかそうか。なるほどねえ」 
 全く返事になっていなかった。彩樹さんは一人で満足そうにうなずくと、今度は狭い脱衣所の中にもかかわらず、片手を真っ直ぐに伸ばして私を指差した。 
「舞ちゃん、君、友達多いだろう」 
 瞬時に頭の中に友人と呼べる人物を思い浮かべてみた。世間ではどのくらいが平均であるかは分からないが、そう多くはないような気がした。 
「そんなことはないです」 
 彩樹さんは少し面食らった顔をした。それから顎に手を置いて何事か考え、再び私を指差した。 
「なら、君は人から好かれることが多いだろう?」 
「そうでもないです」 
「困った時に頼られることが多い」 
 私は黙って首を振った。そんなに人気のある人間ではないのだ。彩樹さんは私の様子を見て落胆したようだった。肩を落とし、溜息をついている。 
「僕の審美眼は当てにならないね」 
 そう呟く彩樹さんを見ながら、私は先ほどから違和感を覚え続けていた。何か違う。私の知るロボットと、明らかに違う点がある。それが何かを自分で気付く前に、愛海が私の耳元で囁いた。 
「舞、この人敬語じゃない」 
 そうだ、と私は思わず手を打った。あのロボット特有の丁寧な口調がない。自然にそれが当然のように、彩樹さんは彼自身の言葉遣いをしているのだ。私が驚いて彩樹さんを凝視すると、彼は照れたように笑った。 
「いや、見つめられるとね」 
 彩樹さんは人間臭く頭をかいた。 

 彩樹さんは同じように、グループ内の様々な人に声をかけていた。どの内容も大して意味のあるものではない。用もないのに自分から話しかけるというのも、ロボットとしてはおかしな事だった。 
 彩樹さんから逃れて軍団の先頭にきた私は、今度は四ノ宮さんに話しかけられた。 
「あいつ変でしょ」 
 私は大いに肯いた。四ノ宮さんもたいがい変だと思ったが、彩樹さんは相当なものだった。ロボットではなく、人間だとしても変わっている。 
「あんなんだから、あんま人気ないんだよ。言う事聞かないし、設定なんて入れても無意味だし。結局あたしくらいしか雇わなくなってんだ」 
「そうなんですか」 
「あたし達、結構寮では浮いてるからね」 
 それは分かる気がした。寮に住む大学生を見た限り、四ノ宮さんとはそもそもが違う気がした。うさぎの檻にモルモットを放したような、根本的な違いだ。 
 四ノ宮さんは、きっと外部生なのだろうと思った。今の大学生には外部生が少ないから、彼女一人だけ奇妙に浮き上がってしまうのだ。 
「今の高等部は、外部生も結構いるらしいね。今いる子達、みんなそうでしょ」 
「よく分かりますね」 
「なんとなくね」 
 しばらく話をしていると、彩樹さんが四ノ宮さんのもとへ帰ってきた。晴れやかな顔をして、声も弾んでいる。 
「咲、この代はいいね。活動的で、なかなか大胆だ」 
「気に入った?」 
「そうだね。これなら納得だ。仕方無いけどね」 
「そりゃよかった」 
 そう話す彩樹さんと四ノ宮さんは、穏やかな口振りなのにどこか寂しそうだった。夏の最後の日差しを浴びた一行は、四ノ宮さんに連れられて三階の自習室に向かった。 

 机と椅子だけが規則的に並んだ広い部屋を見せて、四ノ宮さんは言った。 
「自習室、本当に勉強してる奴がいるから気をつけて」 
 確かに、いくつかの机の前には申し訳程度の人がいた。かえって部屋の広さが引き立つような人数だ。彼女達は騒々しく侵入してきた私達に一度だけ目を向けると、また何事もなかったように机に向かった。 
 彼女達の他に、部屋の隅で動く数人がいた。棚から分厚い本を取り出し、運びだそうとしている。雑用を言いつけられたロボットだろう。彼らの一人が、抱えるほどの本を持って入口に近寄ってきた。 
「十七?」 
 私は傍を通り抜けようとした男の人の顔を見て、驚いて声を上げた。十七は私に気がつくと、いつものように少しぎこちない笑顔を浮かべた。 
「舞子さん、こんにちは」 
「大学の寮でも仕事をしているんだね」 
「はい。私は学校全体の雑用ロボットなので」 
 絶妙なタイミングで返答した十七に、私は満足して頷いた。会話の間というのも、自転車に乗るように、一度覚えたら忘れないものなのだ。 
「久しぶりだね」 
「そうですね、以前に英理子さんの移動を手伝って以来」 
 もうひと月は会っていない事になる。最近は特に用事もなかったし、弟がいるために迂闊にロボットを呼べないせいだった。十七はぎこちない笑顔を更にぎこちなくさせて言った。 
「また呼んで頂けますか?」 
「呼ぶよ、用事があったら」 
「用事が」硝子の目を伏せて何か言いかけた十七を、私は慌てて遮った。 
「なくても呼ぶよ」 
「本当ですか?」 
「本当だよ」 
 嬉しそうに見えた。私の思い込みかも知れないが、確かにそう見えたのだ。 
「では、失礼します」 
 十七はそう言って、私の脇を通り抜けた。 
「へえ」 
 急に近くから声がして、驚いて振り返ると、彩樹さんが私のすぐ後ろに立っていた。驚いた私に負けず劣らず、彩樹さんも驚いているようだった。振り返った私の顔を、目を凝らすように見てから眉を顰めて言った。 
「十七って、ナンバーの十七だよね。あんなパフォーマンスなんてできたっけ」 
「パフォーマンス」 
「会話機能が極端に向上して、感情にしても大分高度になっている。自己学習機能はあるけど」 
 彩樹さんは一度首を傾げ、私に笑いかけた。 
「君の影響かな?」 
 私は何も答えなかった。答えるべき言葉を何も持っていなかったからだ。 



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