5−4

 私は力を振り絞り十七の両手を塞いだ。十七の持つ荷物は全て床に散らばってしまったが、頓着している余裕はなかった。手が使えなければ連絡が出来ない筈だ。ロボットの通信機能は耳のスイッチにある。おそらく十七が本気になれば私の力などゾウリムシ程度なのだろうが、無理矢理引き剥がす真似はしないだろう。ロボットは人間に危害を加えることが出来ないのだ。 
 辰哉は茫然と私たちを見ていた。寝込んでいたために女装もしておらず、女と言い訳が出来ない格好だ。状況を理解できない辰哉を、彩樹さんはさり気無く後ろに庇ってくれていた。 
「舞子さん、彼は」 
「十七、お願い。黙っていて、誰にも言わないで」 
 無理だと思いながらも、私は僅かな希望をかけてそう言った。奇跡的な確率で、彩樹さんの様に回線がなかったり、切れていたりするかも知れない。いや、そうでなければならない。 
「彼は何者ですか」 
 十七はまるで壊れてしまったかのように微動だにもしなかった。目を辰哉に見据えたまま、口だけが動いていた。 
「舞子さん、彼はあなたにとってなんですか」 
「弟だ、私の。十七、私の弟なんだよ」 
「弟」 
 十七は眉間に皺をよせた。睨みつけているようだ。十七の、笑う以外の明確な表情を見たのは、これが初めてだった。 
「弟、だから私を」 
 十七はまるで言葉に詰まるように間を開けた。弟を睨んだ瞳をそのまま私に向ける。硝子の瞳は光を映さず、どこまでも黒かった。 
「だから私を呼んでくれなかったのですか。私はもういらないのですか」 
「十七?」 
 抑揚の少ない淡々とした喋り方だったが、何故か叫んでいるように聞こえた。親にすがる子供のような悲痛な叫び声だ。私を非難しているのだ。誰もいない寮の中で、十七の声だけが響いていた。 
「私は、あなたの望むものであろうとしました」 
 十七は引き剥がすように、私の体を押した。軽く押しているように見えて、私は圧迫されるような苦しさを覚えた。 
「あなたが弟の様に思って下さるのなら、そうなろうとしました。でも、私では駄目なのですね。本当の弟が来れば、私はもう用済みなのですね」 
 十七は瞬きもせず、目を逸らさずに私を睨んでいた。そのまま、右手を耳元に伸ばした。 
 私は後悔していた。迂闊な言動、期待を持たせるような態度。私の行動が、十七にそれほど影響を与えたのだと、予想もしていなかった。私は十七に、弟の様である事を望んでいたのだろうか。そうかも知れない、そうでないかも知れない。私には分からなかった。 
 私は考える事を放棄した。感情に任せて十七に飛びかかると、右手にしがみついた。 
「誰にも言わないで。お願い、十七。辰哉は私の弟だから」 
 私は息を吸い込んだ。むせ返りそうなほど勢いよく吸うと、全て言葉にして吐き出した。 
「私の弟は辰哉で、十七は初めから弟じゃなかった。私は、十七に弟になって欲しかったわけじゃない。だけど辰哉は十七じゃない。私は辰哉がいても十七と仲良くしたい。十七と辰哉も仲良くしてほしいと思ってる」 
 違和感を覚えて、目を瞑りたいと思った。なぜだろうと考えてみると、どうやら涙がしみ出して来ているようだ。感情的になるとすぐに涙腺が壊れるのは、私の中で最も忌まわしい体の仕組みだ。 
「辰哉を助けて、十七……」 
「舞子さん」 
 十七が呟いた。私がしがみつく腕が妙に熱かった。いや、熱いどころでは無い。私は思わず手を離してしまった。 
「舞子さん、私はあなたの望むようにありたいと思いました」 
 十七は呻くように言った。自由になった手を、まるで何かを掴むように握りしめた。十七は溶けるのではないかと思うほど発熱していた。首を振りながら言葉を繰り出す十七に、私は近付くことが出来なかった。 
「私は望んだのです。私が望んだのですか? 私が何を」 
 焦げるような臭いがした。十七の体の節目から、黒い煙が出ている。 
「私が考える。私が望む。何を。私が」 
 十七はうずくまり、同じ言葉を繰り返すだけで動かなくなってしまった。傍に寄ろうとしても熱くて近寄れない。私が躊躇っている間に、彩樹さんが進み出て十七に触れた。 
「熱いですよ、大丈夫ですか?」 
「これでも僕はロボットだからね」 
 彩樹さんは十七を抱きしめるように背中に手をまわした。彩樹さんがしばらく十七の背中を撫でると、電池が切れたように十七のうめき声は止まった。力無く足を投げ出した十七を彩樹さんは担ぎあげると、私の方を向いた。 
「バッテリーを落としたんだよ。少し熱を冷まさないと。それに、壊れた場所がないかも確かめなくちゃね」 
「十七、壊れたんですか?」 
「いや、そんなに脆くはないと思うよ。ただ、具合は悪くなっているだろうけど」 
 私は少し悩んでから、担ぎあげられた十七に近寄った。目を瞑る姿は、ロボットである事を感じさせなかった。前髪が顔を隠して、まるで私を避けるように影を落としていた。私は十七の額にかかる髪をかきあげた。少し触れてしまった十七の額は熱くて痛かった。 

 彩樹さんは十七を抱えて、どこへ向かうつもりなのか歩いて行ってしまった。私はその後を追いかけようとして、ふと立ち止まった。十七の持っていたものが全て転がっている。私はそれをかき集めた。それは鞄や服や、たくさんの雑貨だった。この荷物の持ち主は、まるで夜逃げでもするように学校を辞めたのだろうか。色の褪せた、大切なぬいぐるみまで置いて。 
 ぬいぐるみは十七の熱のせいか、耳が焦げていた。床もよく見れば、熱で溶かしたみたいに変形している。私は床を見ながら目をこすると、持ちきれない荷物を辰哉に持たせて彩樹さんの後を追いかけた。 



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