6−4
部屋は狭かった。仕方がない、人数が多いのだ。モニターの付いた、以前に見たラジオよりもずっとスマートな塊が部屋の中央を陣取り、その周りを取り囲むように私達がいた。
高木さんはモニターの傍に椅子を置き、しばらくコードを確認していた。祥子は高木さんの散らかったベッドに腰をかけ、辰哉の髪を弄っていた。短い髪を祥子に引っ張られ、いくつものゴムで結ばれた辰哉は、一つ一つそれを不器用に取っていた。英理子ちゃんは足もとに転がる本やペンを踏まないように、ずっと下を見ながら居心地のいい場所を探していた。十七は一番邪魔にならないだろう壁際を選んで置物のように立ち、彩樹さんは感心しながら高木さんの作った物体を眺めまわしていた。
「高木、狭い」
橘さんは床の汚れなど一切気にせずに座り込んだ。固い物の折れる音がしても、全く頓着しないようだった。
「何これ、モニター? 本当に映るの?」
愛海はモニターを軽く小突きながら言った。二人が自分の部屋で傍若無人な振る舞いをしても、高木さんは一切気にしなかった。
「映すよ」
高木さんはモニターの陰で手を上げた。小さく何か弾ける音がして、次に砂嵐の耳障りな音が聞こえた。画面には薄く色が付き、見ている内に少しずつ濃くなっていった。
『――国もついに戦線を布告し、現在ほぼ全ての国が戦争に参加する状態となっている』
一人の男性の姿が、時々揺れながら画面に映っていた。背後には無機質な壁が映り、何人もが忙しなく走っていた。
「英語?」と私は高木さんに聞いた。言っている事は半分くらいしか理解できない。
「多分ね。ちょっと独特の発音だけど」
『大陸の東側はすでに不毛の地となってしまった。それでも奴らは誰も危機感を抱かない』
身振り手振りを踏まえて話す男性は、時折舌を噛んだり言葉に詰まったり、たどたどしかった。
「これ、ニュースじゃない」
荒い口調や聞き取り辛い発音は、アナウンサーとしては失格だった。しかし、感情は確かに伝わってくる。彼は憤っていた。
「彼は、情報制限をされた国に向けて映像を発信しているらしい。現場では何が起こっているのかを知ってもらいたいのだと」
高木さんは眼鏡を押さえながら言った。
『次は西側が消える。戦争は勝ったら終わりだなんて間違いだ。その前に、世界がなくなってしまう。一般市民まで犠牲にして、自分たちの墓穴を掘っているんだ』
「この人の言っていること、本当かな」
つい、私はそう言ってしまった。学校で流れるニュースでは、明日にでも戦争が終わり、被害は敵国一つだけだと言わんばかりだった。それを信用していたわけではないが、これではあまりに酷過ぎる。想像の範疇から越えていた。
「他のニュースでも聞くか? どの国も、敵を殲滅したと言わんばかりだよ」
そう言いながら高木さんはいくつか画面を変えた。内容はどれも同じようなものだ。自分の国には一切の被害はなく、悪の敵国は完全に駆逐されていた。こんな馬鹿馬鹿しい話があるものか。
「発信者は熱いけど、ここが一番冷静だったよ。真実をありのままに伝えようとする。確かに、少し大げさすぎる気もするけど」
高木さんは元の画面に戻しながら言った。
「私達の気が付かないだけかもしれない。こんな学校にいるから」
画面の男性は次第に声を荒げながら、早口に訴えていた。その姿は、何故かひどく滑稽で悲しげに見えた。
『明日にだって世界は滅びるかも知れない。それだけの破壊力を持った兵器を、奴らは持っているんだ――』
私達は一人ずつ、暗い顔をしながら自分達の部屋へ戻って行った。こんな事になっているなんて知らなかった。しかし、知ったからといって何ができるのだろう。画面の男性の声が何度も耳の中に響いた。
「舞ちゃん」
私の部屋の前で、彩樹さんが立っていた。扉に背を当て、腕を組んでいた。伏せた瞳は光を反射出来ずに黒ずんでいた。
「彩樹さん、何か用ですか」
「用というほどでもないんだけどね。ちょっとだけ、僕の決意を聞いて欲しくて」
「決意?」
彩樹さんは光の宿らない瞳で私を見据えた。瞬きをしないその目は、確かに人間のものでは無かった。
「まさか、こんな事になっているとは思わなくてね。この学校さえ消えれば、僕も咲も自由になれると信じていた。だけど、砂川さんは全部知っていたのだろうな」
「何の話ですか」と私は言った。しかし、彩樹さんは聞いていないのか、わざと無視をしたのか、言葉を続けた。
「僕には砂川さんが悪い人には見えなかった。少なくとも、君達に愛情を抱いていると思っていた。今も。だけど彼女のしていることは、やっぱり止めるべきなのだと思う」
「彩樹さん」
私は遮るように声を上げた。全く話が見えてこなかった。彩樹さんは誰に向かって話をしているのだろう。
彩樹さんは私の声を聞くと、まるで自分が音を発していた事にも驚いているかのように口を押さえた。しばらく口元を結んで、彩樹さんは噛みしめるかのように数度瞬きをした。やはり彩樹さんは、今まで意図的に瞬きをしていたのだ。人間に近付くためかも知れない。しかし本当のところは、私には分からない。
「ごめんね。僕は今、自分自身の行動が統御できないみたいだ」
「何かあったんですか」
彩樹さんは目を瞑り、躊躇いがちに息を吐いた。長く長く吐くと、ぎこちなく目を開けた。それから私を見て、薄らと笑みを浮かべた。いつもの彩樹さんだ。
「実は僕、約束を破ろうとしているんだ、僕の意志で。こんなの初めてで、動揺しているんだよ」
「そうみたいですね」
「それが本当に正しい事だか分からない。だから一晩悩みたいんだ。心が決まったら、もう一度舞ちゃんに会いたい。いいかな?」
ここで否定する人間など居るのだろうか。私は深く頷くと、安心したような彩樹さんに尋ねた。
「どうして私なんですか?」
きっと、恐ろしく大切な話だろう。それなら私よりも、もっと相応しい人がいる。頭の良い高木さんや、行動力のある橘さんでもいい。愛海や祥子だって、私よりはずっと上手くやるだろう。
「分からないかな」
「分からないです」
彩樹さんの探るような目線を私は睨み返した。彩樹さんは驚いたように肩をすくめて見せると、目を細めて言った。その口調はどこか楽しそうだった。
「すべての中心に君がいたじゃないか。今までずっと」
「私が?」
私は思わず自分自身を指差した。想像することも出来なかった。もしも私が中心にいるのならば、一人だけ何も知らない台風の目の様なものだ。
「君の周りにいたんだよ、辰哉君も、高木さんも、僕もね。それに、隼人も」
彩樹さんは私の目から視線を頭の上の方へ時間をかけて持ち上げた。私から何かを透かして見るようだった。
「ねえ」
彩樹さんは私からピントをずらして、遠くに向けて微笑んだ。それにつられて私も振り返った。消灯時間が迫り、廊下は人気が少なくなっていた。
「……はやとさん?」
私から二歩か三歩ほど離れた所に、隼人さんは立っていた。柔和な微笑みを浮かべた姿は、なぜか現実味がなかった。これは私が自分で作り出した幻である、とでも言われた方が、よほど納得がいく。
「舞、あなたに忠告をします」
隼人さんは一歩私に詰め寄った。表情は柔らかく、態度もいつもと変わらないのに、私にはなぜかそれが恐ろしく想えた。知らず両手を握り、詰められた分だけ後に下がった。
「あまり彼には近寄らないように。信用してはいけません」
「どうして」
声が出せたのは、自分でも奇跡だと思った。私は隼人さんの目どころか、顔の端を見るのも恐ろしかった。俯きながら、隼人さんの胸のあたりに視線をさまよわせた。
「舞を悲しませることになります」
私の喉が鳴った。過呼吸にでもなったように、息を吸い込む事が出来なかった。心臓の音がやけに響いて、肩は震えだしそうだった。
体に力を入れ、頭の中で落ち着くようにと何度も言った。息を吸うときは肺を膨らませ、吐くときは腹の中まで吐き出すように。私は全力をかけて気持ちを静めた。
「舞」
隼人さんが一歩下がった事に気がついた。それと共に、妙な緊張もなくなったように思えた。隼人さんの声はいつものように優しい、機械らしくない声だった。恐る恐る隼人さんの顔を覗くと、二つの硝子玉が細くなっていることに気がついた。
「では、おやすみなさい。舞」
そう言って、私の横を通り抜けて行った。何事もなかったかのように、私達に背中を見せていた。
「あれが隼人か。凄まじいね」
彩樹さんが隼人さんの後姿を眺めながら、溜息を洩らした。