7−2
私の部屋の中で、彩樹さんは椅子に腰かけた。私はベッドの端に座ると、向かい合うような形になった。しばらくそうやって何も言わずに、まるで睨み合うようにお互いの目を見ていた。
「ごめんね」
唐突に彩樹さんが言った。
「何がですか」
「昨日の内に言っておくべきだった。まだ時間があると思い込んでいたんだ」
彩樹さんは頭を抱えた。事の原因が全て自分にあるかのように、苦しげに眼を閉じていた。だけど、例え昨日の内に彩樹さんから何を聞いていても、今朝起こった事がなくなるとは思えなかった。
彩樹さんは息を吐いた。私も同じくらい息を吐いた。それから時間をかけて息を吸うと、冷たく乾いた空気が肺の中を冷やした。
「舞ちゃん、今更だけど聞いて欲しい。僕の知っていること」
顔を上げ、彩樹さんは言った。私の中身を探るような目をしている。
「僕の知っていること、僕と咲で調べたこと」
「四ノ宮さん……。四ノ宮さんは」
四ノ宮さんは退学になったのだと、昨日彩樹さんが話していた。
「咲は死んだよ」
想像していたよりも、私は驚かなかった。半ば予想していたのだろう。全く漠然としたイメージではあったが、私は四ノ宮さんと彩樹さんが何か、私達の生活をひっくり返すようなものを探っていると無意識に思っていた。
「咲は殺された、秘密を知り過ぎたんだ。それに実は、僕も命を狙われている」
「秘密」
彩樹さんは頷くと、顎に手を置いて少しの間考えていた。時々口を開きかけ、思い直したようにまた閉ざしてしまう。どこから話をすればいいのか、考えあぐねているようだった。
「舞ちゃんは、この学校についておかしいと思った事はないかい?」
無いわけがなかった。私は返事の代わりに、彩樹さんの瞳を見つめた。
「男子禁制、徹底した外出制限、それにこの学校にしか流れないニュース。あんまりにも、隔離され過ぎているだろう? 軍部の大物の令嬢が多く通うような学校だから、とは言うけれど、それならどうして外部から人を入れるのだろう。箔を落とすことにはならないか?」
そう言ってから、彩樹さんは一瞬瞳を落とした。
「気に障ったかい?」
私は首を振った。それよりも、続きを聞きたかった。私の反応を見て、彩樹さんは小さく顎を引いた。両手を膝の上に置き私に向かって身を乗り出すと、苦しげに息を吸った。
「この学校は軍部に酷く関わりが深いんだ。舞ちゃん、この学校の退学者の多さは知っているだろう?」
当然知っている。それも突然、前触れもなくいなくなるのだ。
「彼女達の親が失脚した時に、退学になるんだ。もっとえげつなく言えば、軍の内部抗争で揉めた末に死人が出た場合、報復を恐れてか一族郎党皆殺しにする」
「それって」
それ以上、私は言葉にして出すことが出来なかった。息をのもうとしたが、上手くいかなかった。胸のあたりに全ての神経が奪われたような気がした。
「こんなことは、ごく一部しか知らないけどね。表向きはただの名門校。だから知らず人が集まる」
「咲さんは、それを知っていたんですか?」
「僕と会う前からね。一人で調べていたらしい。それに僕が加わったんだ」
彩樹さんはそこで一息ついた。全てを告白して気分が軽くなった様子では無い。まだ先は長いと言わんばかりに、更に表情を険しくしていた。部屋には冷房などは言っていないのに、何故か私の額は湿っていた。私は額の汗を拭った。粘り気のある嫌な汗だ。拭った手の甲まで気持ち悪かった。
「分からないのは、外部生の事だった」
彩樹さんは、波のない水面に急に浮かび上がってきた泡のように、ぽつりと言った。
「君達の存在する意味は。どうして君達まで、いつの間にか退学することがあるのか。僕は知っていたはずなのに知らなかった。理解していなかったんだ」
彩樹さんは項垂れながら言った。私と目を合わせようとしない。
「考えてみれば、僕の存在だっておかしかった。どうしてロボットがいるのだろう。これほどたくさんのロボットが、本当に必要なのだろうか。少女たちの目を眩ますだけではなく、他に目的があるのではないだろうか」
「それで」と私は彩樹さんを促した。聞きたくはないが、聞かなければいけない事だ。私は覚悟を決めるために、もう一度言った。
「どういう事なんです」
「結論から言うよ」
彩樹さんは低い声で言った。私だけではなく、彩樹さんも覚悟を決めたように顔を上げた。
「僕達は地下施設で人体実験をさせられていた。新型細菌兵器のために、この学校の退学者たちを使って」
私は自分の胸に手を当ててみた。心臓が胸を越えて、私の手を打ちつけていた。いつか地下施設で嗅いだ薬品の匂いが、今ここで漂っているかのように感じられた。思い当たることがあり過ぎて、上手く考えがまとめられなかった。
「この学校自体が、もともと研究施設だったんだ。学長をはじめ運営側は皆研究者だ。知らないのは雇われの事務員と君たち生徒、それに、僕達ロボットだ」
私はしばらく胸に手を当て、心臓の遠慮ない殴打を受けていた。私達は初めから、実験動物としてこの学校に存在していた。身寄りがない、いなくなっても誰も気が付かない都合の良い材料だった。この厳しい外出制限は、私達に外を見せないだけではなく、外から私たちを隠す意味もあったのだ。怒りにも悲しみにも類しない何かが、私の胸を圧迫していた。
「彩樹さんも」
「自分のやっていることが理解できなかったんだ。それを理解する、という回線がないんだよ」
彩樹さんはどうして私と目を合わせようとしないのかを、ようやく分かった。罪悪感を、私達に感じているのだ。彩樹さんは頭を抱えながら、時折私に窺うような視線を投げた。
「それなら、今の状況は実験の結果ですか?」
私は彩樹さんを見つめながら言った。私からは目を逸らさないようにした。彩樹さんが私に目線を寄越す限り、必ず目を合わせる事になる。
「分からない」と、彩樹さんは言った。
「分からない?」
「学長の決定では無いはずだ。今はまだ、こんな事をするメリットがない。学校の中で飼い殺していた方がいいはずだ」
確かにその通りだ。戦争はまだ続く上に、これから激化しそうだと、高木さんの作ったラジオで聞いた。私達には利用価値があるはずだ。
「別の人のしたことなんですね」
私はここ数日を思い浮かべてみた。特に変わったことはない。いつも通りの生活をしていた。授業に出て、食事をして、眠っていた。それ以上に何をしただろうか。
「注射」
「注射?」
「健康診断を受けたんです。そこで予防接種を。だけど、昨日の事なのに」
彩樹さんは相変わらず視線をさまよわせながら、薄く口を開いた。
「完成したんだ」
「え」と私は間の抜けた声を出した。奇妙に甲高い音は、場に似つかわしくない。
「即効性があって、致死性が強く、爆発的に広がるウイルスだ。そんな悪夢みたいなものが」
私は黙った。返事を何も思い浮かべられなかった。ウイルスが完成して、私達は用済みになったのか? いや、それはあまりにも気が早過ぎる結論だ。保険を残しておきたいとも思うだろう。それに、そんなウイルスを学校内に流行らせれば、大切な預かりものである令嬢たちにも被害が及んでしまう。
砂川先生。祥子が言っていたはずだ。砂川先生が、祥子と辰哉にまで注射をしにきた。あの人がこんな状態にしたのだろうか。分からない。
頭が痛くなった。私の持つ情報では、砂川先生の目的が分からなかった。私は頭を振ると、再び彩樹さんを見た。
「彩樹さんは、砂川先生について何か知っているんですよね。昨日そんな事を言っていました」
「僕が?」
「先生が悪い人には見えないとか、止めるべきだとか」
「ああ……」
彩樹さんは肯定とも否定ともつかない声を出した。
「僕にもよくは分からない。あの人の考えることは」
これ以上何を言い合っても、分かることはなさそうだった。何を考えているかなど、砂川先生にしか知り得ないのだ。私はベッドを手のひらで強く押し出して立ち上がると、彩樹さんを見た。本当は叫びたかったが、それほどの体力は無かった。
「行きましょう、とりあえずみんなに話してみないと」
「舞ちゃん」
彩樹さんは私を見上げた。久しぶりに目が合った気がする。
「僕も行っていいのかい?」
「何でです」
「僕は君の友達に酷い事をしているんだ。憎いとは思わないのか?」
もしも彩樹さんにそのための機能があるのだとしたら、きっと瞳は潤んでいただろうと思った。雨の日に捨てられた子犬みたいだ、と私は実物を見た事もないのに思った。
「前にも、同じ事を言った事があるんですけどね」
私は肩をすくめて見せた。やってみてから、酷く場違いな態度だと後悔した。
「嫌いな人とは仲良くしませんよ」