8−2

「砂川さんは、ずっとこの学校を憎んでいたよ。子供好きだったし、とても人間らしい人だったから」 
 ある程度居場所の目星は付いているらしく、彩樹さんは迷わずに進んでいた。T字を曲がったあたりから、扉と扉の間隔が広くなっている。扉の作り自体も、随分と頑丈そうに見えた。 
「学校、というよりも、世界をそのまま憎んでいるようだった。子供が犠牲になる世界なら、ない方がましだと言っていた。僕の性格がこんなだから、砂川さんとは比較的仲が良かったんだよ」 
 彩樹さんは私達に振り返り、肩をすくめようとして止めた。代わりに、眉間に皺を寄せて私たちを見回しながら、確認をするように言った。 
「ここから先は、僕と咲が調べたことから想像したものだ。正しいとは言い切れない」 
「構いません」と私は言った。私が頷いたのを見ると、彩樹さんは再び前を向いて歩きだした。 
「ここの研究施設は学長が仕切っていたけど、実際はほとんど砂川さんが開発したと言っていい。彼女は天才なんだ。作られたウイルスは動物で実験した後で、人間に変える。この作業は僕らがする。僕たちなら、万が一にも病気になることはないし、消毒すれば簡単に無菌状態になれる。そうやって実験を繰り返した結果、多分満足のいくものが出来たんだろう」 
 私達は忍び足でいたわけでもないのに、足音が響かなかった。妙に蒸した空気に音まで吸収されているような気がした。彩樹さんの言葉だけは、一字も聞き逃さないように耳を澄ます。 
「それとは別に、砂川さんはウイルスを作り出していたらしい。全く性質の違うものだ。だけど多分、実際に軍に渡したのは砂川さんが一人で作った物の方だ、ウイルスと共に渡すワクチンはもとのままで。この間の予防接種というのは、このワクチンだね。そうやって国民全体、いや、軍部にとって有用な国民にワクチンを与えた後で、ミサイルが発射された」 
「それじゃあ」と、黙って聞いていようと思ったのに口を挟んでしまった。 
「それじゃ、人間は滅びちゃうじゃないですか。砂川先生はそれを望んでいたんですか?」 
 私はおっとりとした砂川先生の笑顔を思い出してみた。変わってはいたが、悪人には見えなかった。それとも、善悪で測るようなものとは違うのだろうか。 
「違う」と彩樹さんは言いきった。 
「あの人は、本当のワクチンも作り出していた。多分それは、もう使われてしまっただろうけど」 
「誰に」 
 彩樹さんは急に立ち止まった。前を向いたままの彩樹さんの背中を見ながら、私は次の言葉を待った。 
「君たちだよ」 
 私は口を僅かに開けたまま、呆けたように立っていた。再び歩きだした彩樹さんにも気が付かないほど驚いていた。 
「どうして」 
 どうして、の後に続く言葉が多過ぎて選べなかった。私は体を固くしたまま、足だけを動かして追いかけていた。何を言えば、私の頭は整理されるのだろう。 
「それなら、どうしてあたし達の中からも発症したの」 
 宥めるように私の肩を叩いて、愛海が言った。愛海の声も震えていたが、私よりもずっと勇敢だった。 
「不完全だったんだと思う。時間がなかったんだ。世界が滅びる前に、砂川さんの手で滅ぼさなければいけなかった。そうでなければ、君たちは生き残れないから」 
 彩樹さんは壁に手をついて俯いていた。しばらくそうしてから短く息を吸い、今度は近い扉に片っ端から手をつけた。ノブが回るのを確認すると、細く扉を開けて中を覗き、また閉じた。 
「どうして、そんな方法しかなかったの」 
 私達は彩樹さんの行動を、服の裾の揺れ一つも残さず刻み込むように見ていた。扉を開け、中を覗きこみながら、彩樹さんは次第に表情を険しくしていった。ノブを掴む動作も、段々乱暴になっている。 
「分からない。いや、分からなくはない。砂川さんは全てを消してしまいたかったんだろう。汚れた世界を掃除して、子供達のために新しく提供しようと」 
 ドアの隙間からは、溢れるような熱が漏れ出ていた。鼻で息をするのは苦痛だが、口でするのも不快だった。体の中に、この空気を取り込みたくなかった。 
「それとも、虐げられてきた君たちが生き残って、他の連中が消えていく皮肉を楽しんでいるだけかもしれない。だけどどちらも、彼女の心の側面でしかない。様々な感情が絡み合って、僕には読み取れないんだ」 
 別のノブに手をかけた彩樹さんは、見ていて分かるほど体を強張らせた。ノブが回らない。何度動かしてみても、耳障りな金属音を立てるだけだった。 
「ここだ、くそっ。しかたない」 
 彩樹さんは乱暴に頭をかくと、扉を睨みつけた。そのまま一歩離れて大きく息を吸うと、歯を食いしばり、扉を蹴り上げた。耳を破壊するような音を立てた金属製の扉は、彩樹さんの足の形にへこんでいた。彩樹さんがノブを掴むと、今度は回さなくても扉を開ける事が出来た。鍵ごと壊してしまったのだ。 
 部屋の中には、更に二つの扉が付いていた。彩樹さんは迷わずに一方を選び、鍵などもう気にしないかのように力任せに開けた。 



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