類は友を呼ぶ


<2-1>

 劉生が告白されている。
 学生食堂の裏手で、背の低い髪の長い少女に向かって、困ったように笑っていた。辺りに人気はない。春の暖かな日差しは学食の建物に遮られて、たまに柔らかい風が吹いていた。
 そして甘酸っぱい青春の一ページを、私は薄汚れた換気扇の影でじっとりと覗いていた。あちらは爽やかな風をあび、こっちはファンの蒸し暑い風を受ける。なんだこれ、青春の光と影? 弟と私、どこで明暗を分けたのか。
「あの女……要注意ですね、お姉さん!」
「…………いや、別に」
 ハルちゃんの髪が温い風に巻き上げられて、私の顔に当たる。なんだかみじめになってきた。

 別に見たくて、こんなもの見ているわけではない。

 少し前のこと。
 桜が散った新緑の時期、私は次の講義までの時間を持て余してフラフラさまよっていた。一度アパートに戻るほどでもないし、大学内を探検するほど、二年目の学生生活は新鮮味もない。学内の本屋にでも行って、適当に参考書でも漁ろうかと思っていた。
 昼休みを過ぎた大学は人もまばらだ。時々暇そうに、サークル勧誘をしている上級生たちがいる。購買部へ向かう道すがら、何とはなしに目を配らせて歩いていると、見覚えのある姿を見つけた。
 購買部の入口に隠れて鋭く視線を巡らす少女が一人。動きやすそうなパンツ姿で、シャツは甘めのピンク色。色素の薄い髪を撫で、時折考えるように視線を落とす。そうと知らなければ、待ち合わせでもしているだけに見えるだろう。
 しかしあれはハルちゃんだ。つまり、また劉生を追いかけているに違いない。感心するほどに熱心だ。その熱量は人類の役には立たない。
 私はできれば、劉生とは顔を合わせたくなかった。購買部の入口にハルちゃんがいるということは、たぶん劉生は中。今、購買をさまようのは危険だ。冷静沈着な判断の結果、私は隣の学生食堂で時間つぶしをすることにした。
 学食の裏にはベンチがある。今の時間はちょうど日陰になっていて、風がよく通り抜ける。夏には人気の場所だが、今はまだ日差しが気持ちいい季節だし、昼休みも終わって人も少ないだろう。
 などと思ったのが間違いだった。
「成瀬君、好きです」
 その声を聞いたとき、瞬間的に私は隠れていた。四角い換気扇の影にしゃがみこみ、逃げるべきかどうかを考える。気になる、いや、気にならない、いや、気になるようなならないような……。
「ありゃ、お姉さん」
 ふと、私の両肩に重みを感じた。見ると先ほどまで購買にいたはずのハルちゃんが、すでに私の後ろでスタンバイ。
「あたしよりも先に劉生さんを見つけるなんて……やりますね。でも、いくらお姉さんでも劉生さんは渡しませんよ」
「……あげます」
 そして今に至る。

 劉生に彼女ができてしまえ。
 私は祈るように思っていた。劉生に本当に彼女ができれば、たぶんもう私が好きだなんて世迷言なんて言わなくなるだろう。劉生は顔もいいし性格もストーカー気質であるほかは悪くない。ぶっちゃけよくもてる。「お姉さん、渡しておいてください」なんてラブレターを託されたこともしばしばあるくらいだ。それなのに、私の記憶にある限り、劉生に彼女がいたことは一回しかなかった。
 まあ、私は一回も彼氏がいたことなんてないですけどね。
 それどころか、ちょっぴり甘いトキメキとも無縁に過ごしてきた。一方の劉生は大学に入った途端にこれか。世の中の不平等を呪いたくなる。
 ため息をひとつ、ついでに愚痴もひとつ。
「告白するの早すぎじゃない? 出会ってまだ一か月経ってないでしょ……」
 私の切ない負け惜しみに、ハルちゃんが「うん?」と小声で答えた。
「わかってないですね、お姉さん。わかっていないですよ、恋と言うものを」
「はあ……?」
 まあ、さっぱり恋愛沙汰には詳しくないけど。
「この出会いたての時期、お互いのこともよく知らない。仲良くなるには早すぎる。そんな時にリスクを払って告白する理由――それはいったい何だと思います?」
 ハルちゃんの流れるような言葉に、私は少し身を引いた。ハルちゃんの目が燃えている。思えばこの子も恋する乙女だった。
「こ、恋の駆け引き?」
「違います!」
 即答された。
「いいですか、この時期、絶対不利だとわかっていても告白するのは――それが恋だからなんです」
 は?
「恋に理由はありません。好きだから止まらないんです。あの人と付き合いたい、大好き、もっと知りたい。劉生さん、今なにしてるだろう。どんな暮らしをしているんだろう。劉生さんの匂い、劉生さんの味、劉生さんの使ったタオルに包まれてくんかくんかしたい……」
 そういえば劉生、最近タオルが何枚か無くなったって言っていたな。
 遠い目をしたハルちゃんを横目で見ていると、すぐそばを誰かが駆け抜けて行った。
 反射的に顔を上げて追いかける。小さな体がスカートをはためかせて走り去っていく。長い黒髪に見覚えがある。今まで、劉生に告白していた子だ。ああ、あの様子だときっと上手くいかなかったんだ。
 と言うことは、甘酸っぱい告白は終わったということ。私たちは逃げるタイミングを失ったということ。
「……ねーちゃん」
 要するに、見つかるのは当然だということだ。

 劉生は気まずそうに頭を掻いた。茶色い髪が犬の毛並みのように揺れる。
「ねーちゃん、見てたの?」
「反省してます」
 私は換気扇の前で正座して、劉生の前でうなだれた。心地よくない風がそよそよと流れる。ジーパンでよかった。膝が汚れても大丈夫。ちなみにハルちゃんも、隣で同じ姿勢を取っている。
「いや、別にそこまでしなくても」
 うなだれる私の頭に、劉生の困った声が落ちてくる。上目で見上げると、なにやら口をもどかしそうに動かしている。
「こういうとこ、見られたことなかったからな。えっと、あの、ねーちゃん」
「はい」
 どんなお叱りでも受ける覚悟でございます。
 いくら姉弟とはいえ、プライベートはプライベート。踏み越えてはならない部分がある。私だって劉生に付きまとわれたり、学生生活を邪魔されたりしたくは…………ん? 手遅れ?
 すでに私の権利は侵害されているような気がする。いや、気のせいだ気のせい。まだ劉生が大学に入ってから一か月しか経っていない。毎日何通もメールが送られて来たり、待ち伏せされたり、いつの間にか私の友達が「劉生くんってさ〜」なんて言い出したりしているのも気のせい。…………気の、せい……。
「ねーちゃん?」
「はい!」
 思考が勝手に沈み込んでいたようだ。劉生の声に、私ははっと顔を上げた。
 劉生はやけに神妙な顔で私を見ていた。二重の大きな瞳が、睨むように私を見ている。あ、まつ毛長い。
「俺、ねーちゃん一筋だから」
 耳がおかしくなったかな。
「誰に告白されても、俺はねーちゃんしか好きにならない」
 ぐっ、と手を握り、劉生は強い意思を秘めた目で言った。
「ちゃんと断ったから、好きな人がいるって」
 私の耳ではなくて劉生がおかしかった。いや、もともとか。
 私は返事もせずに、冷たい視線を劉生に送った。
「…………ちゃんと?」
 肩を落とした私の隣で、ずっと黙っていたハルちゃんが口を開いた。今日のハルちゃんは彼女にしては珍しく、劉生の傍でも大人しかった。さっきまでも、何か考えるところがあるらしく、あごに手を当ててずっとぶつぶつ言っていたのだ。
「本当にしっかりと断りました? 後腐れなく?」
「しっかりやったよ。変に希望を持たせることも言ってない。そう言うのは慣れてる」
 劉生がむっとしたように言い返す。慣れているとはまたクソ生意気。
「どうかしたの?」
 私が尋ねると、ハルちゃんは黒髪の失恋少女が走って行った方をじっと見つめた。
「いえ、気になるんですよ……彼女の雰囲気が」
 ハルちゃんは視線を伏せ、軽く頭を振った。
「あれは、私と同じ匂いがします」
 なるほど、ストーカーか。



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