類は友を呼ぶ


<2-2>

 劉生は明らかに疲れ切った顔をしていた。
 朝一番の講義で、劉生は当然のように私の隣にやって来て座った。そして一言。
「増えた」
 背中にいつもストーカー(二人)。姉として同情せざるを得ない。
 朝の講義室は閑散としていた。出席を取る教授の声がむなしく響く。佐藤君、返事なし。清水君、返事なし。サ行全滅。基本的に、大学生の朝は遅いのだ。
「ストーカーなの? 警察に行った方がいいんじゃない?」
「うーん……」
 どうも、劉生は警察にいい思い出がないらしい。いつだったかハルちゃんを警察に突き出したときに、揉めに揉めたことがあったせいだ。というか、ハルちゃんが揉み消した。いったい彼女は何者なのだろうか。我が家ではちょっとしたミステリーになった。
「変な子じゃないと思ったんだけどな。でも最近、妙に視線感じるし、俺んちの前をうろうろしてたし、干しておいたタオルとか無くなってるし」
 タオルはたぶんハルちゃんです。
「誤解だったら悪いし……話してみて駄目だったらまた考えるよ」
「……そっか。頑張れよ」
 私が言うと、劉生がぱちりと大きく瞬いた。
「ねーちゃん、なんか珍しく優しい」
 そりゃもちろん、「弟」には優しいよ、私は。
 もともとは仲のいい「姉弟」だったんだから。

 ○

 その日を境に、私の生活は一変した。
「やつれてるねー、成瀬」
 藤野が私の顔を覗きこんで肩をすくめた。
「なにかあったの?」
「…………うつった」
 私はうんざりと息を吐いた。
「劉生のストーカーが……こっちにうつった」
 とばっちりもいいところだ。彼氏より先にストーカーができるなんて、泣きそう。

 上天気の空が憎い。春うらら、日差しは誰にでも優しく降り注ぐのに、私の背後には謎の視線も降り注いでいた。
 私と藤野は教室移動のために、天気のいい大学の通りを並んで歩いていた。この、講義のために棟から棟を練り歩かなければならないのが面倒である。十分しかない講義合間の休憩時間のうち、移動に七分かかるのだ。しかもその移動の最中にも、視界の端にストーカーの影があるからたまらない。
「いるの?」
 ちらちらと背後を気にする私に、藤野が小声で囁いた。はは、と私は強張った笑顔で応える。
「家を出たときからずっと」
 大学生の、しかも新入生のくせに、すでに講義をさぼってまで私を追っているのだ。そのエネルギーはすごい、認める。認めるから他の、もっと生産性のあるものに打ち込むべきである。
「なんかされたりとかはないの? 物を盗まれたりとか」
「ぜーんぜん」。
 思えば被害らしい被害は何もない。
 しかし直接的には被害がないとはいえ、はっきり言って気持ち悪い。大学内にいるときはもちろん、家に帰る道すがらも、スーパーで買い物しているときも、果てはトイレに行くときも、なんとなく視界の端を影がうろつく。最初は気のせいかと思っていたが、たまに前触れなく振り返ると、いつも同じ女の姿があるのだ。おかげでここ数日、私は独り言も言えないし道を歩きながら鼻歌も歌えないし、雨上りの午後には傘で剣道の真似をして遊ぶこともできないでいた。
「なんで私のストーカーするんだろう……」
「ねんごろになりたいんじゃないの?」
 劉生と? それともまさか私とか? 劉生がいつまでたっても振り返ってくれないから、いっそのこと姉でもいいやとそんな気持ち。
「奇妙ですねえ」
 不意に高い声が割り込んできた。私でも藤野でもない。驚いて振り返ると、ハルちゃんがにこやかに私たちのすぐ後を歩いていた。
「は、ハルちゃんいつの間に」
「いやですねえ、講義が終わってからずっと並んで歩いてたんですよ」
 なんだと。気配が完全に消えていた。お前は忍者か。
「あたしに言わせれば、お姉さんに気づかれる方が素人なんですよ。あたし、お姉さん相手ならベッドの中まで気づかれずに侵入して、添い寝できる自信がありますよ」
「いやいや、勘弁してよ」
 私はぞっとして両腕をさすった。ハルちゃんならやりかねない、というのが一番怖いのだ。
「成瀬、その子誰?」
 しばらく黙ってやり取りを見ていた藤野が、怪訝そうに尋ねた。ああ、藤野は知らないのか。
「劉生のストーカーだよ」
「どうも、劉生さんのストーカーです」
 ハルちゃんはぴょこんと私たちの前に飛び出してくると、藤野の前で軽く会釈をした。顔にえくぼを浮かべた彼女は、こうして見ているとそれなりに目を引く可愛らしさだ。小柄ながら存在感もあり、到底筋金入りのストーカーだとは思えない。
「堂々としたストーカーがいたもんだね……」
 もっともだ。
「あたしよりも後ろのストーカーさんの方が堂々としていると思いますけど」
 ハルちゃんは私たちと歩調を合わせながら、背後に目をやった。講義合間の、移動の多い時間帯、見覚えのある女の影が見え隠れしている。
「お姉さんの後をつけると、最近いつもあの人見るんですよね。あんなバレバレな尾行で、完全に素人ですよ」
 素人とかあるのか。ハルちゃんはプロストーカーに違いない。
 って、いや、私の後を……なんだって?
「な、なんで劉生じゃなくて私のなの……」
 要するに、二人のストーカーを背後に持っていたということか。五月のほがらかな空気が、一気に冷たいものへと変わる。うっかり冷や汗がにじみ出て、私は腕で額を拭った。
「そりゃ、劉生さんがお姉さんを追いかけているから。お姉さんいるところに劉生さんあり、ですよ」
「待って、劉生もいるの!?」
「んー、今はいないみたいですけど、必ずお姉さんの近くに現れるはずですからね。劉生さんは逃げるのが上手いので、お姉さんを張った方が楽なんです」
 ハルちゃんがどこか得意げな顔で私を見上げた。ちょっと待て、理解が追い付かない。つまり私をストーカーする劉生をストーカーする二人が、なぜか私をストーカーしている。ストーカーがストーカーを呼ぶストーカーのループ。よけい混乱してきた。
 頭を抱える私に、ハルちゃんはにっこり笑って「細かいことはいいんですよ」と言った。ああそう、彼女にとっては細かいことなのか。
「それよりお姉さん、後ろの人、気を付けてくださいね。素人は怖いですよ。ストーカーとして、マナーもモラルもないんですから」
「…………マナーって、ストーカーの?」
「いやですねえ、社会一般のマナーに決まっているじゃないですか」
 ストーカーがマナーを語るとはこれいかに。いや、堂々と胸を張って歩くハルちゃんを見ていると、私の方が間違っている気がしてくる。
「相手の迷惑になるようなことはしないんですよ、あたしたちは。ストーカーのためにストーカーしているんです。でも、素人は相手を傷つけたり、無理なことをさせようとしたりするんです」
 ストーカーは迷惑じゃない、と。さすがハルちゃん、なにを言っても通じなさそうだ。
「後ろの人、たぶんお姉さん憎しで追いかけてますよ。劉生さん、そういうところ詰めが甘いんだから。身辺に気を付けてくださいね」
 ハルちゃんはそれだけ言うと、急に足を止めた。講義棟の直前、これから建物に入ろうかというときだ。私も思わず立ち止まって、ハルちゃんに振り返る。
「どうしたの?」
「あたし、行かなきゃです。この次、別の棟で講義なんです」
 そう言ってハルちゃんは大きく手を振ると、軽い足取りで走り去っていった。爽やかな後ろ姿だ。そうか、あの子はあれでも大学生なのか。職業、ストーカーだとばかり思っていた。
「成瀬、ずいぶんおもしろい知り合いがいるんだね」
 隣で藤野が、ぼそりと呟いた。傍から見ているだけなら、たしかにおもしろい知り合いなのだろうが。



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