追いかける追いかけられる


 まじめに、盗聴器でもつけられたのではないかと思う。
「ねーちゃんだめだよ、休みの日くらい外に出ないと」
 お呼びでないのにやってくる、それが劉生だ。
 一人でレンタルビデオ屋をうろついて、「丸一日かけてホラー映画でも見ようか」なんて考えながら振り向いたら、劉生。リアルでホラーだった。
 大学に一番近いレンタル店、下宿生同士なら“偶然”会う可能性もないわけではない。しかしこの出会いは必然だった。相手は劉生なのだから。
 DVDの詰まった棚に挟まれた、狭い通路で向かい合う。両脇は物色していたホラー映画の棚、背後は何の因果かピンク色した大人エリアだった。レジに向かう通路は劉生側にある。退路を塞いだのだ。これが孔明の罠か。
 劉生がじりじりと距離を詰める。逃げようとする私に迫るピンク。前門の劉生、肛門のアダルト――いや、後門。
「最近、学校とバイト以外ほとんど家から出てないでしょ。今日だって昼間まで寝てたしさ。たまには運動しないと太るよ」
「なぜ知っている」
「ねーちゃんのことくらいわかるよ」
 やれやれ、と劉生は呆れた様子で頭を振る。娘を心配するお母さんみたいな口ぶりだった。心配なのはこちらだ。立派なストーカーに育って、お母さんは泣いていますよ。ねーちゃんも泣きたい。
「怖がりな癖にホラーなんて見たら、また眠れなくなるでしょう」
「か、勝手じゃない」
 近寄ってくる劉生に、私は思わず後ずさる。視界に入るショッキングピンク。いつの間にやら片足が大人の世界へと踏み込んでいた。見るともなしに見えてくるのは、モザイクが必要な女性たちのアレコレ。自分の体も同じものがあるのに、どうして他人のおっぱいはエロいのか。純情な私は、顔が赤くなるのを隠せない。
 そして劉生は鬼だった。
「いつも部屋に閉じこもって、変なDVD借りて、俺の気持ちにもなってよ、ねーちゃん」
 劉生の後ろを、DVDを持った親子連れが通り抜けていく。ちら、と私を見る。子供が興味深そうに、「ねー、変なDVDってなに?」なんて聞く。母親があわてて「見ちゃいけません」なんて叱りつけた。
 ピンクに囲まれた私の目に映る、数々の変なDVD。違うんです、変な、と言うのはアダルトの意味ではなく、ホラーの意味だったんです。弁明する間もなく消え去る親子連れ。彼らはきっと「いつも暗い部屋でエロビデオを見る引きこもりの姉と、それを引き留めようとする弟」という構図に見えただろう。これじゃまるで、私が変態だ。
 私の気持ちにもなってくれ、劉生。

 ○

 いつもいつもやられっぱなし。
 愚痴る相手も変わらず、藤野。
 私は講義中にもかかわらず、隣の藤野に延々とつぶやき続けていた。あいつはおかしい。尋常じゃない。絶対どこかのネジが緩んでいる。小さなひそひそ声は教授の耳には届かない。教室の一番後ろに座る私たちには、逆に教授の声も届いては来なかった。
 秋口の涼やかな日差しの中、前を見ればほぼ全滅状態。うつぶせになる、頭、頭、頭。起きて板書をしているのは、前から三列目までに座る真面目な学生たちだけだった。だいたい教授自身が、たまにこっくりと舟をこぐのだから仕方がない。とりあえず出席すれば単位はもらえる伝説の講義だった。
 そして実は、私にとって最も心休まる講義でもある。
 学部専門科目――つまり、劉生はこの講義を取れないのである。今頃劉生は、自分の学部の専門科目を受けているだろう。私と劉生が離れる、数少ない……本当に数少ない時間だった。
「そんなにすごいの? 劉生くん」
 すごいって言うかヤバい。ヤバい、人として。
「私から見れば、いい弟君に見えるけどねえ。成瀬にはもったいない。私が欲しい」
「あげたい」
 藤野は見た目に騙されている。中高時代も、よく羨ましがられた。あんな弟が欲しい。
 傍から見れば、よく懐く弟に見えるかもしれない。その実態はストーカーだ。私の行く先々どこにでも現れるし、携帯電話のアドレスは変えても変えてもなぜかばれる。アドレスを変えたその次の瞬間、震える携帯電話、モニターに映る『劉生』の文字。今まで見たどのホラー映画よりも怖かった。
「ま、私が欲しいと思っても劉生くんが来てくれないだろうね。彼、本当に成瀬のこと好きだよね」
「好きとかいう次元じゃすまない。あれは……」
「お姉ちゃんがとられたくないんだよ、きっとね。言われてみれば、ちょっとシスコン気味かな」
 シスコン? 気味? そんな言葉で語れるような劉生ではない。
「軽く言ってくれるわあ……」
 私の恨み言に、藤野が眉をしかめた。どうやらちょっと機嫌を悪くしたらしい。いつもよりも低い声で、藤野は私に囁いた。
「そりゃ、劉生くんの方が一枚上手そうだもんねえ。成瀬とじゃ、器が違うというか。搦め手で追い詰めていきそうだよねえ。あんた、簡単に陥落させられそう」
「落ちてたまるかい」
「でもやられっぱなしなわけでしょ?」
 む、と私は口をつぐむ。言い返す言葉は、たしかにない。
 藤野は私に顔を寄せ、にやりと笑った。こいつも相当性格悪い。
「たまにはやり返してみたくない?」

 携帯電話に、最近おもしろい機能があるらしい。ダウンロードすると、相手の携帯電話から居場所を知ることができる、いわゆるアプリというものがあるのだそうだ。
「劉生くんの携帯からアプリをダウンロードするの。で、こっそり登録まですればばれないから。できる?」
「うん、たぶん」
 藤野の言葉に、私は頷きを返した。劉生の携帯は、貸してと言えば簡単に借りられる。なんとか誤魔化しながら操作できるだろう。
「そうすると、成瀬の方の携帯から、劉生くんの居場所が分かるようになるから。発信機みたいなものね。これで、逆に成瀬が劉生くんの後をつけることもできるよ」
 ふむ、ふむ、と私は相槌を打ちながら説明を聞く。操作はそんなに難しくなさそうだ。劉生が携帯電話を持ち歩いている限り、これでいつでも居場所が知れる。
 劉生の後をつけて、なにか弱みでも握ってやろう。それができなくても、せめて追いかけられる恐怖と言うものを味わわせて見せよう。
 自然と口の端が持ち上がる。ニヤニヤした笑みは、どう考えても悪役の表情だった。怯え逃げ惑え、劉生。
 言っておくが、私も性格は良くない。




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