入れてみた\(^O^)/


 天気のいい日だった。
 秋が深まり始めた、空は高い。日差しは暖かく空気は冷たい。
 土曜日の昼間下がり。体を動かしたくなる容器の中で、私と藤野は狭いアパートの一室で顔を突き合わせていた。
「どう?」
 六畳一間に鎮座する机に並んで座りながら、二人して携帯電話を覗き見る。小さな画面に映るのは、駅前周辺の地図と赤い三角のマークだった。
「駅から動いてない。買い物してるのかな」
 藤野が三角を指差しながら、つまらなそうに言った。
 三角マークは劉生だ。朝から藤野と二人でスタンバイ。じっと携帯電話を睨んでいたというのに、動き出したのは昼過ぎだった。劉生の下宿先からまっすぐ駅に行き、動かない。準備の割にはつまらない結果だったが、私としては一安心だった。まっすぐ怪しい繁華街に向かったり、まっすぐ私のアパートに来たりするよりよほどいい。まともな行動に、おねーちゃんはほっとしていますよ。
「ん? 動いた」
 ほっとしたのも束の間だった。
「バスに乗ったかな? どこに行くんだろう。成瀬、追いかけるよ」
「なぜ」
 立ち上がり、今にも出て行きそうな藤野を見上げて、私は首を傾げた。劉生だってバスに乗る。おかしなことはない。
「追いかけないと弱み握れないでしょう。今頃バスに乗って裸踊りとかしてるかもしれないじゃん」
「してたら姉弟の縁切るよ……」
 そんな弱みは握りたくない。

 藤野にさらわれ現場に直行。すでに日が傾き始めていた。
 というのも、追いかけても追いかけても劉生が捕まらないのだ。相手も移動を繰り返しているらしく、立ち止まる気配がない。場所は駅前から次第に離れていく。だんだん人通りの少ない町外れに。住宅さえも見当たらなくなっている。
 いつの間にか、バスから徒歩での移動に変わっていた。携帯電話の画面を睨みながら、劉生の足取りを追う。たまに車がすれ違うほかに、同じ道路を行きかう人はいなかった。
「劉生……どこに行くつもり?」
 劉生の向かう先は、地元の人間でもめったに行かないような倉庫街だ。四角い倉庫が立ち並び、たまに入るのはトラックばかり。ドラマなら確実に裏取引の現場になるだろう。
「帰った方がいいんじゃないの?」
 藤野が私の後を歩きながら、少し不安そうに言った。日が傾いて、肌寒くなってきた。空の色は茜に変わり、風も出てきたようだった。
「このままだと真っ暗になるよ。私、あそこに行くのはちょっとやだよ」
「……藤野は帰っていいよ」
 私はちらりと藤野を見た。街灯が点き始めた歩道を、藤野は気が進まない様子でのろのろと歩く。
「私一人でも大丈夫だよ。今日はありがとうね」
 正直に言えば、一人で倉庫街に行くのは気分がよくなかった。しかしついて来てくれただけの藤野を、あまり遅くまで付き合わせるわけにはいかない。
 私の言葉に、藤野は肩をすくめた。
「成瀬も帰るんだよ。あんた一応女なんだから」
「いや、行くよ」
「劉生くんなら放っておきなよ。あれでも大人なんだから、なにかあっても自分で対処できるでしょ」
 なにかあっても。
 私は足を止め、藤野に振り返った。
「なにかあったら困るんだよ。あれは私の弟なんだから」
 面食らったように藤野が口をつぐむ。一瞬の間ののち、呆れたように息を吐いた。
「あんたも大概ブラコンだよね。私もついて行くよ。成瀬一人行かせる方が嫌な感じだし。それにどうせ、絶対に大したことは起こらないでしょ」
 藤野はそう言って、大股で私を追い越した。機嫌を悪くしたらしい。相変わらずのツンデレさんだ。

 倉庫街に入ると、明かりは一気に少なくなる。虫の声と夜の鳥が耳に痛い。遠くに車の走る音がする。
「劉生、なんでこんなところに……」
 西日に深い影が落ちる。等間隔に並んだ倉庫の間を、私と藤野は劉生を探しながら歩いた。
 携帯の画面に映る赤い三角は、移動していない。この倉庫街で止まっているのだ。劉生はここにいる。いったいなぜ。
「ねーちゃん」
 不意に、背後から声がかかった。ぎくりと体を強張らせる。誰だ。いや、聞き覚えのある声だ。いや、…………ねーちゃん、だと?
 私と藤野は顔を見合わせ、同じ動きでゆっくりと振り返る。
「やっぱり俺をつけてたんだね、ねーちゃん」
 そこにいたのは、腰に手を当てて呆れたように首を振る、劉生だった。危うく私は悲鳴を上げるところだった。
 まて、まて、まて。
 ホラー映画も真っ青なこの状況で、私は自分の心に問いかける。どうしてこうなった? 劉生はなぜ、ここにいる? しかも、私たちが後をつけているということを知って?
「き、気づいていたの……?」
「気づかないと思ったの?」
 恐る恐る尋ねた私に、劉生は当然のように答えた。
「どうも様子がおかしいと思って、少しうろついてみたんだよ。そしたら、ずっとついて来るし、どうも俺の居場所に気づいているみたいだったから、発信機でもつけられたのかと思って」
 劉生は一拍おいて、ふっと笑った。普段なら爽やか好青年の笑みだが、今は辺りの暗闇と相まって、ただならぬ恐怖を覚えさせる。
「誘き出してみたんだよ。上手くいったみたいだね」
 ぞっとする。
 完全に、劉生の手のひらで転がされていたのだ。隣で藤野が、参ったというようにうなだれた。
「劉生くんの方が上手だったってことだね。一枚どころか五枚くらい」
 完敗だった。
 私は諦めのため息を落とした。……アプリは後で解除しておこう。


 しばし一考。
 結局三人で並んで帰ることになった。バスを乗り継ぎ、無意味な旅に疲れを感じている中で、私はふと気がついた。
 すっかり暗くなった夜の道を、大学行きのバスがのろのろと走る。どうせ全員下宿生で、大学近くの部屋を借りているのだ。終着駅まで乗りっぱなしだから楽なものである。最後まで下りないのだからと、一番後ろの座席に、藤野、私、劉生の並びで座る。
 疲れたせいか、なんとなく口数が少なくなった。黙って携帯電話のアプリを解除していると、どうにも違和感を覚える。
 ――なぜ劉生は、私の居場所がわかったのか。
 後をつけていたことに気がついた、と劉生は言った。ならば、いつ、どこで。劉生はいつから、私たちを誘い出そうとしていた?
 ――いつから、私たちであることに気がついた?
 じっと携帯電話の画面を睨む。居場所が分かるアプリ、劉生ならばどう使うだろうか。
「劉生、これ知ってる?」
 携帯電話を劉生に突き付けて、私はそう尋ねた。劉生はぱちりと目を瞬かせ、不思議そうに画面を見る。映っているのは、例のアプリのページだ。
 劉生はしばらく眺めてから、眉をひそめて私に視線を移す。
「ねーちゃん、こんなの使ってたんだ」
 感心しない、という表情だ。私も少し驚く。どうやら劉生は、このアプリの存在を知らなかったらしい。
「…………劉生、それなら、どうして後をつけていたのが私だって気がついたの」
「えっ」
 劉生は私を見下ろして、一瞬だけ言葉を詰まらせた。しかしすぐに、満面の笑みに変わる。
「愛だよ、ねーちゃん」
 愛で居場所が知られてたまるか。
 ぞわぞわと鳥肌が立つのは、秋の涼しさのせいではない。劉生の笑みは、犬のように懐っこい。その裏でどんなえげつないことを考えているのか、想像するだに恐ろしい。


 しばし一考。
 劉生の愛とはストーキングである。私の居場所を知るために、なにか細工をしているのではないだろうか。
 劉生と別れて家に帰ってから、少しだけ思い返してみた。
 私が劉生の居場所を知ったのと同じように、劉生もまた、何らかの方法で私の居場所を知ることができた。その手段があったはずだ。
 ――あのとき、なんと言ったか。
 私が劉生に見つかったとき。たしか劉生はこんなことを言っていた。
『発信機でもつけられたのかと思って』
 発信機?
 普通はそんな単語、出ないぞ。
 瞬間、ぞっと毛が逆立った。私は今日着た服、財布、かばん全部をひっくり返す。
 ばらばらと物が落ち、空になったかばんの底に、それを見つけた。
 鞄の底、少し固い布地に、小さなカードが貼りついていた。
 ――発信機。
 はっきりと、「そう」とは言えなかった。見た目はなにかのポイントカードか、それともクレジットカードのように思える。見つけたとしても見逃してしまいそうな、黒い変哲のない物体だった。
 相手が劉生でなければ、疑いもしないところだった。
 私はカードを片手に、少しの間呆然とする。なかなかイカレた男だと思っていたが、まさかここまでするとは。相手が私でなければ、即逮捕だ。姉として、血の気が引いていく。
 カードは叩き折ってやろうと思って、寸前で手を止めた。あの愚弟がこれで居場所を図っているのだとしたら――――。
 ――しばし一考。
 私はそれを、翌日のごみの日に出した。収拾車が回ってくるのと同じタイミングで家を出て、少し遠くまで遊びに行って来る。できれば劉生と、偶然にも顔を合わせないくらい遠くに。
 発信機を追ってどこまでも行くがいい。できれば夢の島まで行って、埋もれてくれるのが理想だ。


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