聖なる夜はあなたと


 初めからあまり乗り気ではなかったのだ。

「クリスマス会?」
 委員長の言葉に、私は怪訝に聞き返す。重たげな三つ編みをした委員長が、眼鏡の奥から鋭く私を睨んだ。
「なに? 隆子ちゃん嫌なの?」
「そういうわけじゃないけど……」
 私は周囲の友達と顔を見合わせた。
 放課後の教室、帰ろうかと鞄を持ち上げたところで委員長とその取り巻きに捕まった。帰り道を塞ぐように立ち、委員長たちは威圧的に私たちを見下ろす。きっちりしすぎのブレザーと、膝下でそろえたスカート丈。軍服のように制服を着こなす彼女たちから、「クリスマス会」なんて言葉が出るとは思わなかったのだ。
「クラスの女子全員で、来週パーティーしようと思うの。場所は理子ちゃんの家よ。理子ちゃんの家広いし、二十人くらい入るでしょ」
 そう言った委員長の後ろで、気弱そうな少女がおずおずと頷いた。背が小さくて小太りな彼女は、あまり仲が良くもなさそうなのに、いつも委員長と一緒にいる。
「……全員? いつ?」
 私の隣で、消え入りそうな声が尋ねた。背中まで伸びた黒髪、黒目がちな小動物のような瞳。口は臆病そうに小さい。私の友人の千恵里だ。大人しい日本人形みたいな彼女だが、その視線は明らかに不満に満ちていた。
「月曜日、学校が終わってからよ。千恵里ちゃん、来るよね?」
「……塾があるんだけど」
 千恵里の言葉に、私は他の友人たちと頷き合う。急な話過ぎる。塾に限らず、私たちにも用事があるし、だいたいあまり出たいとも思わない。
「私だって、この日以外は塾なのよ。千恵里ちゃん、悪いけど休んで、ね?」
 黙ってしまった千恵里に、委員長は満足したように頷く。
「千恵里ちゃんも来てくれるし、みんな来てくれるよね」
 私の友人は大人しい子たちばかりだ。何も言えずに俯く友人たちを見てから、私はためらいがちに口を開いた。言いたくないが、言わないわけにもいかない。
「それ、絶対に行かないとだめなの?」
「駄目よ、みんなでやることに意味があるんだから」
「……だって、三年のこの時期だよ? もうすぐ高校受験だってあるのに」
 冬の色濃くなってきた十二月。中学も三年目となった私たちは、一様に緊張感を高めていた。馬鹿らしくなるくらい勉強して、遊ぶ時間も減らして、学校でも試験向けの勉強をする。特に委員長は有名進学校の私立を受けるらしく、際立ってピリピリしていたはずだった。
「だからこそ、するのよ。中学最後の思い出づくりよ。みんなで仲良く楽しみたいのに、嫌なんて言わないでよ」
「嫌じゃないけど、せめて受験終わってからでも」
「なによ、隆子ちゃん」
 委員長が不愉快そうに鼻を鳴らす。
「私と違って、隆子ちゃんなんて地元の公立校じゃない。それなのに嫌だって言うの? 私は隆子ちゃんよりずっと大変だけど、クリスマス会の企画までしているのよ」
 横柄な態度にむっとするものの、腕組みしながら私たちを睨みつける委員長に対して、それ以上言葉が出ない。なにを言ってもきつい反論が返ってきそうだ。それに耐えられるほど、私の気は強くない。
「来てくれるでしょ、隆子ちゃん? 隆子ちゃんは塾だって行ってないんだもんね」
「……私は、まあいいけど」
 結局折れて、ため息とともにそう答えた。委員長の強引なところ、気丈な性格、まとめ役としては頼りになるけれど、向き合って話をするには多少高圧的過ぎるきらいがある。
 委員長は私と私の友人たちを見回した。私たちの中に、もう文句を言う人はいない。私たちの顔色からそのことを確認すると、委員長は後ろに振り返って笑った。
「やったね、これでほとんど全員」
「さすが美優、名委員長!」
「楽しみ、ねえ理子?」
「……う、うん」
「あとちょっとね、残ってるのは……」
 囃し立てる取り巻きたちが、ふと言葉を止めた。彼女たちの瞳は、窺うように委員長に向かう。私たちに背中を向けた委員長の表情は見えないが、きっと不機嫌な顔をしているに違いない。
「詩音ちゃんたちだね」
 委員長が低い声でつぶやいた。
 松浦詩音とその友人たち。茶髪に化粧に改造制服。トイレで密かに煙草を吸っているのも知っている。いわゆる不良に属する人たちで、はっきり言って協調性はない。こういう、「クラスみんなで」という会とは無縁の存在だった。
「ねえ、美優、あの子たちはいいんじゃ……」
「だめ!」
 取り巻きの言葉に、委員長が跳ね返すように否定した。
「全員集めることに意味があるのよ。詩音ちゃんたちにも来てもらう、なんとしても」
「でも、絶対来ないよ、あの子たち」
「来させるのよ……そうだ」
 委員長は顔を上げ、私に再び向き直った。なんの用かと私は思わず身構える。
「隆子ちゃん、クリスマス会に劉生くん連れてきてよ」
「えっ」
 私はぎょっとして、高い声を返した。
「詩音ちゃん、たしか劉生くんのこと気に入ってたでしょ。いつもかっこいいって言ってたもん。劉生くんが来れば、詩音ちゃんも来ると思うの」
 そう言うと、委員長は私に向かってぱちんと手を合わせる。
「ね、お願い。劉生くんのこと、連れてこれるでしょ?」
「……声をかけてはみるけど、来るかはわからないよ」
「それでいいよ。ありがとう!」
 委員長は私の手を取り、感極まったように高い声で言った。彼女の顔は達成感に満ちていた。背後の取り巻きからは拍手まで起きる。乗り気ではない私たちとの温度差が目に見えるようだった。
 それにまだ、劉生がどう答えるかわからないのに。
 この時点で、なんとなく嫌な予感はしていた。

 ○

 冬らしい乾いた風が吹き抜ける。私はマフラーに顔をうずめ、体を震わせた。
 友達と別れた帰り道、庭先をクリスマスに彩った家々の横を通りながら、私は息を吐いた。白いもやが口から空へと消えて行く。
「ねーちゃん」
 不意に私のコートが引っ張られる。
 声変わり前の少年の、甘えるような声。振り返らなくてもわかる。
「劉生、今帰りなの?」
「うん、今日は部活も休みだって。顧問の先生が風邪ひいたから」
 へえ、と頷く私の前に、学生服を着た少年が飛び出す。
 私よりも少しだけ背が高い。だけどまだまだ子供っぽい顔つきで、「かっこいい」より「かわいい」が似合う。あまえたがりの子犬に似た少年――劉生は、一つ年下の私の自慢の弟だ。
「ねーちゃんも、今日はちょっと遅いね。一緒に帰るなんて久しぶり」
 劉生は並んで歩きながら、私を横目で見下ろした。たしかに、運動部に入った劉生はいつも帰りが遅くて、一緒になることなんて滅多になかった。
「今日は、ちょっと話をしててねー……」
 委員長と、強引なクリスマス会の約束をしてしまった。そのことを思い出し、私は視線を落とす。約束したのは、私のことだけではなく、劉生を誘うということもだ。
 こう言うことは初めてではなかった。かわいくて人気者の劉生を目当てにして私を誘う人。劉生と仲良くなりたいから、私と仲良くする人。そうでなくても、自然に、きっと無意識のうちに私に劉生を期待する人。断りきれない私は、劉生との橋渡しを引き受けてしまう。劉生を売っている気がして、なにより憂鬱だった。
「ねえ劉生、来週の月曜日って空いてる?」
「来週?」
 劉生は小首を傾げる。
「来週は部活の奴らがクリスマスパーティーするって言ってたから、たぶんそれに行くと思う」
「あ、……そうなんだ」
 私はほっとしたような、がっかりしたような気持で頷いた。委員長には断っておこう。きっと文句を言われるだろうけど、劉生をだしに使われるよりはましだ。
「ねーちゃん、なにか用があったの?」
「なんでもないよ」
「ねーちゃん」
 劉生は眉をしかめ、私の腕を掴む。隠し事は許さない、と目が言っている。私は小さく頭を振った。
「その日、私のクラスでもクリスマス会をするから、暇だったら誘おうと思ったの」
 でも、無理にとは言わない。劉生は自分の方を優先して。そう言おうと思った私より先に、劉生が口を開く。
「行くよ」
「えっ」
「部活の方は断るよ。どうせ集まって騒ぐだけなんだし、それならいつだってできるし」
「劉生……」
 私は顔をしかめた。劉生なら、本当に断って私の方に来てくれるだろう。劉生はそう言う性格だ。いつも、姉として不安になるくらい、私のことを優先してくれる。
「駄目だよ」
 だからこそ、あまり劉生に来てほしくない。私自身が乗り気でない会に、劉生を巻き込みたくない。
「だって、もともと部活で約束してたんでしょ? 劉生だってそっちに行きたいでしょ?」
「……そりゃ、楽しみだったけど。でもせっかくねーちゃんが誘ってくれたんだし」
「楽しみなら、そっち行きなよ」
「でも」
「来なくていいんだって」
 私は思わず、劉生の腕を振り払う。一瞬だけ、劉生の驚く顔が見えた。その顔つきは、すぐに怪訝な表情に変わっていく。
「ねーちゃん、もしかして、俺に来てほしくないの?」
「…………」
 即答できなかった。来てほしくない、と言うのは真実だ。知らない女子ばかりの会に劉生を呼ぶことには抵抗がある。だけど、「来てほしくない」と正直に口に出すのは気が引けた。劉生の好意を無下にすることになる。
 この沈黙を、劉生は誤解したらしい。振り払われた手を苦々しげにポケットに突っ込むと、声を落として言った。
「ねーちゃんさ、誰かに俺を誘えって言われたの?」
 ぎくりとした。見上げた劉生は、今は私を見ていなくて、まっすぐに前を睨んでいる。
「でも、ねーちゃんは俺には来てほしくないんだ」
「そういうわけじゃないよ」
「じゃあ、行ってもいい?」
 それは嫌だ。劉生が、私のために他の楽しみを切り捨てるのが嫌だ。
 私が首を振ると、劉生は「そう」と小さく呟いた。
「……俺は別に、ねーちゃんが喜ぶなら、知らない人とも平気なんだけどな」
 劉生の歩幅が大きくなる。早足にならないと追いつけない。いつもなら、私に合わせて歩いてくれるのに。
「でも、ねーちゃんは俺がいるのは嫌なんだな」
 ぽつりとこぼれた言葉と、劉生の背中。それきり劉生は黙って、私に振り返ることも、歩幅を合わせてくれることもなかった。
 寒風が吹く。
 今年の冬は、いつもよりも寒い気がした。


inserted by FC2 system