3−4

 約束の時間丁度に城戸さんは現れた。背後にはやはりというべきか、隼人さんを連れている。城戸さんの陰に潜むように立つ彼の姿を認めた途端、英理子ちゃんの様子は落ち着かないものとなっていた。
「私の座る場所がないわ」
 城戸さんは眉を顰めながら言った。立っていろとも言えない私は、大人しく立ち上がり席を譲った。十七もそれに続き、私の後ろに立つ。当然の様な顔をして、城戸さんはその席に着いた。
「舞ちゃん」
 英理子ちゃんが申し訳なさそうに声を出した。しかし、私が座って城戸さんが立つのも変だろう。部外者は私なのだ。
「いいよ、向い側にでも座っているから」
 私は英理子ちゃん達の隣に並んでいる席へ腰を下ろした。あとで店の者に咎められるかも知れないが、知った事か。
 隼人さんは立ったままだ。私と一瞬目が合うと、いつものように笑おうとしかけたが、その前に城戸さんに呼び止められた。
「隼人、突っ立ってないで隣に来なさい」
「かしこまりました、修子様」
 英理子ちゃんは憎々しげに城戸さんを睨みつけていた。少し前に見た、悠斗さんに縋る女子生徒の立場に、今度は英理子ちゃんが立っているのだ。冷静さを失っているように見える。
「何の用です?」
 棘の刺さる言い方だった。いつもの英理子ちゃんよりも随分声が低い。隼人さんのおかげで上位に立てた城戸さんは、逆に口調も柔らかかった。
「言ったでしょう? お話がしたいって。じっくりと、私達について考えましょう?」
「話す事など」
「では聞いていただくだけで構わないわ」
 城戸さんは挑発するように、時折英理子ちゃんの様子を見た。英理子ちゃんは隼人さんから目を離さないが、何も言わなかった。城戸さんは満足気に目を細めた。
「私、忠告に来たのよ。あなたは南条の娘でありながら、あまりにも自覚が足りないのだもの」
 そう言って、私を横目で見た。特に何かを含めた視線では無かったが、私は不快だった。その辺りに生えている雑草として見られているような気がした。
「私たちともあまりお付き合いしてくれずに、B棟の方と親しくして。それに、はしたない真似もしばしば」
 英理子ちゃんは苛立たしげにテーブルを指で叩くと、城戸さんは顔を顰めた。
「その態度」
「まわりくどいのよ」英理子ちゃんは遮るように言った。
「言いたい事だけ言いなさいよ」
 城戸さんは驚いたのか、口を僅かに開いた。作り笑顔を崩し、英理子ちゃんを睨みつける。
「そう、では単刀直入に言うわ。この学校で、あまり大きな顔をしないでほしいの。それに」
 城戸さんは一度言葉を区切った。隣に座る隼人さんに少しだけ目をやると、また英理子ちゃんに視線を戻した。
「隼人に近付かないでほしいの」
 お互い顔を見合わせると、英理子ちゃんと城戸さんは同時に微笑んだ。背筋が寒くなるような不気味な光景だった。
「やっぱりそれが言いたかっただけね」
「そうよ。これから先、隼人に近付かないで。貸出も禁止するわ」
 英理子ちゃんはさらに笑みを深めた。
「あなたに何の権利があるの」
 権利、と城戸さんは呟いた。二人は笑顔を崩さずに、冷たい応酬をしている。私は居心地悪く感じたが、場の空気を壊してまで立ち上がり、帰る勇気もなかった。
「隼人は私のものなの」
 城戸さんは隼人さんの肩に触れながら言った。
「正式に、お父様に買ってもらうのよ。隼人はもともと陸軍が所有していたものだもの」
「陸軍」と、英理子ちゃんは繰り返した。
「隼人を戦わせるつもり?」
「いいえ、そんなことさせない。隼人は私の恋人だもの」
「それなら、無駄な浪費をするのね。また」
「無駄な浪費?」
 城戸さんは不快そうに眉を潜めた。張りつめた糸の様な空気を、英理子ちゃんは少し引っ張ってしまったようだ。
「陸軍を侮辱するの? お父様を」
「だって、そうでしょう? 隼人は軍用ロボットだもの」
「汚い下級兵に混じらせて、隼人に前線で戦えというの」
 城戸さんは、短く息を吐きだした。笑っているようだ。笑っている? 私には信じ難かった。
「隼人が戦えば、百人の兵士が助かると聞いたことがあるけれど」
 英理子ちゃんは静かに言った。いつの間にか笑顔を崩していた。笑っていないし、目も真剣だ。だから、城戸さんだけが不自然だった。
「隼人を戦わせるくらいなら、百人兵を増やした方がましよ」
「使い捨てるみたいな言い方ね」
 英理子ちゃんの髪が、またクーラーの風に靡いた。城戸さんが見せつけるために隼人さんに触れても、いつの間にか英理子ちゃんは反応しなくなっていた。
「使い捨てだもの。兵はたくさん居るけれど、隼人は一人だけよ」
「そう」
 英理子ちゃんは短く答えると、テーブルに両手をついて身を乗り出した。城戸さんの顔を眺めると、一瞬の間をおいて右手を振り上げた。
 柔らかい肉を思い切り叩き合わせたみたいだ。人間の体も肉だから、間違ってはいない。英理子ちゃんは、店中に響く音を立てて、城戸さんの頬を叩いた。
「あなたみたいな人が、本当にいるなんて思わなかった」
 英理子ちゃんは、誰に言うわけでもなく言った。目を伏せて悲しげに息を吐く彼女は、とても凛として美しかった。

 城戸さんはしばらく茫然としていた。叩かれたことが信じられないのか、英理子ちゃんを見詰めたまま口だけを滑らせた。
「何よ、ならあなたは隼人に死ねというの? 見た事もない兵士を助けて満足するの?」
 子供が尋ねるような、本当に分からないといった口調だった。
「それとも海軍自体がそうなの? 一人でも多くの人民を生かす、なんて本気で言っているの? そんなのだから」
 そこで、まるで目が覚めたように城戸さんは立ち上がった。テーブルを音を立てて叩き、英理子ちゃんを睨みつけている。語気も荒く、激しくなっていた。
「海軍がそんなのだから、戦いが終わらないのよ。弱気で、尻込みして、戦いたくないからといって、詭弁ばかり」
 声を張り上げる城戸さんと同じくらい、英理子ちゃんも腹立っていた。二人はテーブルを挟んで睨みあい、罵り合った。心安らぐオルゴールの音も聞こえなくなっていた。
「あなたは、一体何の為の戦いだと思っているの? 軍隊は何のためにあるの」
「勝つためよ! 私達の誇りのために。だから陸軍は勇敢に戦うわ」
「戦うのは、前線にいる兵士よ。勝つのは、この国を守るためよ。プライドのためなんかじゃない」
 テーブルで挟まれていなければ、掴み合ってもおかしくなかった。テーブル越しにも、今にも殴り合いそうだったが、隣に座る悠斗さんと隼人さんが上手く牽制していた。
「軟弱な海軍には、誇りなんて無いのでしょう? だから弱腰になって、陸軍に迷惑ばかりかけるのよ」
「無鉄砲と勇敢とは違う。馬鹿みたいに突き進むのは、愚かで恥知らずな行為よ!」
 城戸さんは顔を歪ませると、隣で黙っている隼人さんに体を向けた。
「隼人、あの女を殺して! 許せないわ、私の事も、お父様の事も、隼人の事も酷い事ばかり言って」
 声を震わせる城戸さんに対し、隼人さんは不自然なほど表情がなかった。無感情に、機械的に城戸さんをなだめる。
「修子様、それはできません。私は人間を守るためにあります」
「嘘ばっかり! 私の命令よ。陸軍大将の、娘の命令よ!」
 いつの間にか、英理子ちゃんも城戸さんも涙を溜めていた。何か感情の琴線に触れたのかも知れないし、単に感情を高ぶらせた所為かも知れない。泣き喚く二人が疲れ果てるまで、店内の中心はこの窓際の席だった。

「ご迷惑をおかけしました、英理子、舞。修子様は私が連れて戻ります」
 城戸さんは隼人さんに抱きあげられていた。隼人さんの胸に顔を埋めたまま何事か呟きながらいまだ泣き続けていた。
「いえ、こちらこそ……」
 英理子ちゃんも両手を顔に当てたまま、体を小刻みに震わせていた。そのために傍観者だった私が、何故か対応することになった。
「不快な思いをされたでしょう。申し訳ございません」
「いや、隼人さんが謝る事ではないですよ。別に」
 別に、の後に何も続かなかった。私は何か言うべき言葉を探している内に、隼人さんはいつもよりも強張った笑顔を作り一礼した。
「失礼します」
 そう言うと、後ろを向いて歩きだしてしまった。その姿を眺めていると、私は何か言わなければいけないような焦燥感に襲われた。とにかく何でもいい。頭の中で良く咀嚼せずに、思いついた事を隼人さんの背中に投げかけた。
「隼人さん。私達、隼人さんにも戦って欲しいとは思ってないですよ」
 隼人さんは立ち止まらずに振り返ると、今度は柔らかい笑みを返した。 


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