<終章>

 出て行くのか、と聞かれたとき、ネイは迷わずにうなずいた。相手もまた惜しんでくれたが、止めはしなかった。仕方ないだろう、とあきらめの表情だけを見せて。
「寂しくなるな」
「寂しいのは、私も同じですよ」
 三年も暮らした紫香宮では、作り上げて来たものもそれなりにある。争いのない後宮では、友と言うものもたくさんできてしまった。
 しかし。
「正妃になれない後宮になんて、いる意味がないとシャルも言っておりますし」
 それに、リーフェイのこともある。謀反の罪に問われたリーフェイは、減刑に減刑を重ねた結果、国外追放になった。シャルは、まあ彼を放ってはおけないだろう。
「シーリィも行ってしまうのだろう?」
「なんでか、私についてくるみたいですねえ」
 シーリィは自主退国だ。自分がいれば、また王位に据えようと思うものも出てくるだろう、と。たしかにシーリィの立場は危うい。妙な野心を抱えた者が、狙いやすい場所だ。
 ならば、とシーリィは、ネイとともに行くことを決めた。行きたいところへ行けと言うのに、シーリィは聞かない。
「あれならきっと、一人でどこへでも行けるでしょうに。何がしたいのでしょうね」
「ネイ、それは――」
 言いかけて、相手は口ごもる。ごにょごにょと口の中で濁したあと、結局言わなかった。
「まあ、私が言うべきことではないだろうな」
「はあ」
 何がおかしいのか、ネイの態度に苦笑する。そして笑いながら、「ネイは」と尋ねた。
「どうするつもりなのだ? 国を出て」
「そうですね」と言って、ネイはにやりと口を曲げる。
「旅をしますよ。いつか、私が王になれる国が見つかるかもしれません」
「それは面白いな」
 笑い声を含んだその言葉は、ネイの未来を全く信じていないとわかる。
「いつかお前が王になれば、また会えるな」
「かもしれませんね」
「王にならなくても」
「はい?」
「また、会いに来てくれ」
 最後の紫香宮、最後の自分の部屋で、ネイは微笑んだ。上天気な晴れの空からは、淡い雲さえなく太陽が照りつける。部屋に吹き込む風は、初夏のにおいがした。
「ユーリンも待っている」
「ええ」
「私もだ」
「陛下」
 慣れた椅子から立ち上がると、ネイは少し硬い声を上げた。微笑みは消え、険しいともいえる表情を浮かべると、深く一礼した。
「太寧は私の生まれた国、私の王のいる国。ご命令とあらば、いつだって、どこだって馳せ参じます」
 ――陛下のために。
 自由な風はネイのようだ。だけどネイには帰る場所がある。いつかどこかで王となっても、ネイの王はマオでしかない。
 頼りない王のことだ。きっとまたすぐに、呼び戻されるに違いない。
 そんなことを考えると、引き締めたはずの顔に笑みが舞い戻った。



 おわり


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