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翌日は、もっと人数が減っていた。大半が休み、残りも体調を崩していた。健康なのは、私の他に二、三人しかいない。英理子ちゃんは休みだった。
砂川先生は、教室に入ると「今日もお休みね」とだけ言ってすぐに出て行ってしまった。同じ敷地内だから、寮と校舎はもちろん遠くないが、朝早く起きてここまで来たのは何だったのかと思ってしまう。だからと言って、休みが嬉しくないわけではない、もちろん。
教室を出ると、同じように帰り始めた他のクラスの人達に気がついた。昨日は砂川先生の受け持つ、私のいるクラスだけが休みになったようだが、今日は流石にどこも授業はないようだ。特進や芸能の生徒も、マスクをしながら頬を赤くして歩いている。
「愛海」
その中に、覚束ない足取りで歩く顔見知りを見つけた。
「スポーツも駄目だったの? 高等部全滅?」
「あ、舞……。うちのクラスも、半分くらいしか、いなかった」
言葉の合間に咳を挟みながら、愛海は熱で潤んだ瞳を私に向けて話した。元気だった昨晩を思い浮かべると、随分な変わりようだ。
「愛海も風邪を引くことあるんだね」
言いながら、私は愛海の体を支える。愛海は私の肩に手を回すが、その手にもほとんど力がこもっていなかった。
「やべ……結構やばいかも」
「仕方無いなあ、愛海、背中乗って」
私は屈んで、愛海に背中を向ける。遠慮がちに愛海は私の首に腕を回した。
「体重ばれるわー、まじで」
「体重てか、異常に荷物が重いけど。なに入ってんの」
「ケータイと漫画。あとCD」
「ばか」
考えてみれば、二日連続で誰かを背負っている。そろそろ筋肉痛になるかも知れない。愛海と喧嘩した事は、すっかり忘れていた。
B棟寮内の生徒もほぼ全滅だった。生徒どころか、寮母さんから用務員さんまでみんな寝込んでいるらしい。B棟寮生百人近くの内、健康なのは十人以下。悪性の風邪で、外部からも医者を呼んでいると、寮ホールの電光掲示板に出ていた。どうして私、元気なのだろう。
私の様な外部生は、基本B棟の西側に部屋を持っている。必ずしもそうとは言い切れないが、南、東、西の順に序列がある。A棟南が一番高くて、B棟西が一番低い、らしい。どうしてかは知らない。これは、もう伝統に近いものだと、去年卒業した先輩が言っていた。外部の普通科は、間違いなくB棟西にいる。だから、かえって仲が良い。他のところだと、権力抗争があるとか何だとか聞いた。外部生なんて、最初から権力を持っていないから楽なものだ。
B棟西には、生徒約三十人がいる。その中で健康なのが、私と、同学年で芸能クラスにいる榎本祥子だ。祥子も外部生で、最近転入してきた。芸能クラスに居るだけあって、かなり整った外見をしている。この学校が共学だったら、さぞやもてただろう。
私達は今、二人でB棟西を走り回っている。医者なんてみんな優先的にA棟に行ってしまうから、看病は自分たちでやらなければならない。今日の食事当番も当然潰れてしまったため、また私が炊き出しをしなければならない。祥子はキッチンに入れてはいけない。余計な仕事が増えるからだ。
「やっぱ二人じゃ無理あるよ」
一部屋一部屋巡回しながら、風邪薬を飲ませ、冷えたタオルを額にのせて、更に細かな注文も聞かなければいけない。熱を出すと何故か皆甘えたがり、寂しがり、厄介なわがままになる。いい加減疲れ果てたところで、祥子は私に向かって弱音を吐いた。
「無理あるっていっても、他に誰もいないよ」
私だって、出来る事なら誰かに手伝ってもらいたい。だけど、絶対的に人がいないのだ。
「ロボットとか借りれないかな」
「絶対無理。みんな貸し出し中だよ」
「誰か空いてるかも知れないじゃん、とりあえず申請しようよ」
有り得ない、と言おうとして開いた口を、私は何も言わないまま噤んだ。もちろん、隼人さんや悠斗さんなどの様な高性能なロボットは借りられない。だけど、その下のあまり人気のないロボットなら、もしかしたら。もちろん彼らもA棟の治療に駆り出されているのだろうけれど、何と言っても絶対量が多いのだ。
私は祥子を横目で見ると、少しためらってから言った。
「事務室、行ってみる?」
「オス!」と敬礼の姿勢を取る祥子の頭を、私は軽く叩いた。祥子の言う通りにするのは、なんとなく癪なのだ。
貸出。用途は、看病。ではなくて、荷物運び。今私達が借りようとしているロボット達は、看病の様に細かい仕事ができないため、貸し出し許可が下りないからだ。借りるのは、ナンバーのみの雑多ロボット。日付はもちろん今日。緊急。
「借りれた?」
印刷された用紙を、祥子は私の後ろから覗き込んでいた。私は用紙を、そのまま祥子に手渡す。
「三人、十一、十二、飛んで十七。食堂に来てくれるみたい」
「うわ、ナンバーでもこれだけしか借りれないんだ」
「本当に大変みたいだね。何で私達元気なんだか……」
風邪は引かない方が良いに決まっているけれど、ここまで来ると仲間外れにされた気分で寂しかった。
ナンバーのみと言っても、しっかりと少年の姿はしている。家庭用の雑用ロボットよりは圧倒的に性能が良いし、簡単な会話なら受け答えもそこそこ出来る。つまり、極端に人見知りをする私にとっては尻込みをするのに十分な性能があるのだ。
こう言うときは、祥子の出番だ。祥子は他人相手に弱気になる事はない。怖いもの知らずかつ、考え無しなのだ。
「じゃあ、えっと荷物運んで。各階のホールのテーブルの上に、風邪引きの人数分。お皿とスプーンと、あとお粥の入った鍋。あ、お鍋は一つずつね。それから――」
私はロボット達指示を出す祥子の一歩後ろにいた。ロボットとはいえ、異性と話す祥子はいつもよりもずっと生き生きしている。芸能クラスは他に比べて外と交わる機会が多い方だけど、それでもこの学校によって大分制限されている。最近まで普通に生きてきた祥子には辛いだろう。この学校に入れられる事は、目隠しで閉じ込められているのと似ていた。
私達は総勢五人で、B棟西を回っていた。二人だった時に比べて負担は格段に減ったし、ナンバー達は想像以上の働きを見せてくれた。きっと比較の対象がなければ、ナンバーのみと馬鹿にされる事もなかっただろう。少なくとも私は、かなり見直した。名前付きの高性能なロボットよりも借りやすく、人間味が少ない分気さくになれる。
「あ、十七。それは三階の江本さんのだから。あの人卵アレルギーだから、メニューが違うんだよ」
机の上に並んだ料理を前にして、ロボットの一人が立ち尽くしているのを見つけた。よくよく見れば、一つだけ見た目が違うものがある。明らかに混乱しているのが見て取れて、私は苦笑してしまった。
「分かりやすいように、皿の色を変えたんだよ。祥子もよく間違えるから」
私がそう言うと、十七はぎこちない動きで振り返り、ぴったり四十五度の角度で頭を下げた。
「舞子さん、教えていただきありがとうございます」
「いいよ、そんなに丁寧じゃなくて。頭は下げなくてもいいから」
私よりも背の高い人に礼をされるのは、居心地が悪かった。私がそう言うと、十七は一拍遅れて答えた。
「いいえ、そういうわけにはいきません」
「うーん、そういうわけにいくと思うけど」
また、少し間がある。私の言葉に対する返答を探しているのだ。ロボットとの会話は、いつも若干の心地悪さがある。
「礼を言うべきときは、頭を下げなければりません」
「そうとも限らないんだよ。頭を下げるのは、本当にありがとうと思ったときに使って、普段のありがとうは、返事みたいに軽く。分かるかな?」
再び間があく。しかし、今度のは反応の鈍さではなく、本当に考え込んでいるようだった。指の先を小刻みに動かしているのは、十七の考えるときの癖なのかも知れない。ロボットの細かな仕草の違いは、意図的に作られたものなのか、それとも個性なのか。
「やはり、分かりません」
十七に表情の変化はなかったが、理解できずに困惑している事はよく分かった。くそ真面目なその様子は、私にほんの少しだけある意地悪な性格を刺激した。
「まあ、仕方無いね。じゃあ、それは置いておいて、分からないことがあったらとりあえず聞いて。分からないからって何もしないでいられると、邪魔だし」
私は普通、他人に対してこんな事は言わない。自分が言われたら傷つくし、何より人にきつい人間だと思われることが嫌なのだ。他人に優しく自分にも優しく、が私の信条だ。だけど、たまには例外だってある。
十七は予想通り、無表情のまま落ち込んだ。表情の性能がいま一つのようだ。それなのに、見てすぐに何を思っているのか分かるところが面白い。これで、もう少し小うるさくて背が低ければ、あいつに似ている。
私は十七の背中を思い切り叩いた。落ち込ませた後は、慰めてやらなければいけない。
「そんなに気にしなくていいよ、十七。本当に、うちの弟みたい」
その弟には、五年前を最後に会っていない。
全員が寝静まったのを確認し、ロボット達を返すと、私と祥子は夕食もそこそこに部屋へ戻った。疲れ切っていたのだ。そのままベッドに潜り込むと、自分でも気が付かないうちに眠っていた。
翌朝は、学校へ行く前に休校であるという連絡が回ってきた。高等部だけではなく、幼小中大全てに広まったみたいだ。朝八時。いつも登校の支度に駆けまわる人々で一杯の廊下は、不気味なくらい静まり返っていた。
この日、健康体に復帰できたのは橘さんと数人くらいだった。私達は少し人数を増やしただけで、昨日と同じく丸一日看病に費やした。前日に借りたロボットは、引き続き借りた。
それでも数日すれば、大体が元気になった。特に外部生は妙に体力がある人が多い。他のどこの学生よりも、B棟西の生徒の回復は早かった。結局祥子も私も風邪を引かないまま、風邪の流行は去っていった。