2−1

 私達は体操服に着替えて、長い廊下を延々と並んでいた。なかなか順番は回って来ないのに、退屈だからと私語をしていると怒られる。暇を持て余して、欠伸をしているところを、後ろから声を掛けられた。 
「おっす、舞。この学校健康診断多くね?」 
 愛海だ。スポーツクラスの愛海が、どうして普通科に居るのだろう。まあ、どうせまた抜けてきたのだろうけど。 
「今年で三回目? まだ夏休み前なのにね」 
「まあ今回は風邪の件があったからかも知れないけどさ。そんなにチェックしなくてもいいじゃんって感じだよ」 
「ここ、狭い所に沢山人いるから、流行ったら大変だ、って言う理由らしいよ」 
 雑談をしてはいけない。だけど、それを律儀に守る人はなかなかいない。決して騒がしくはない廊下だが、囁き声はどこからでも聞こえる。 
「実際、流行ったしね」 
 言いながら、私はつい先日の大流行を思い返していた。結局、B棟でかからなかったのは祥子だけだ。 
「めんどくせ。今日は何と何やるんだっけ」 
「心音聞いて、喉の奥見て、あと何か薬飲むらしい」 
「いつもと変わらないし」 
「しょうがないね」 
 話している内に、ゆっくりと列は前へ進んでいった。保健室までの道のりを、曲がったり、階段を上ったり下りたり、たまに折り返したりした。複雑な順路にするせいで、他のクラスや学年が混ざりあい、保健室に着く頃には自分の順番がいつなのかも分からなくなっていた。 
「参ったね」 
「あれ、普通科B組だよ。D組はまだまだ先だね」 
「スポ組はどこだっけ。芸能の次くらいだった気がするんだけど」 
「D組の次が芸能らしいよ」 
 保健室の前は、廊下とは比べ物にならないほど騒がしかった。時々保健室から教師が顔を出して怒鳴るのだが、一瞬静かになるだけですぐに元に戻った。私達も、小声の会話からいつの間にか通常の音量に戻っていた。 

 私の脇を、黄色のリボンの制服を着た子供が走り抜けた。初等部の生徒だ。その子供の後に続いて、何人か飛び出して来た。保健室近くの階段の前で立ち止まり、何やら秘密の話でもするように、小さく囁き合っている。愛海はそれを、珍しそうに見ている。 
「初等部の検査も一緒なんだ」 
「ん、確か、中等部初等部高等部、で大学と幼稚舎の順だったはずだよ」 
 高等部と初等部とは、ほとんど接点がない。高等部からの転入生である愛海は、初等部生を見ること自体初めてではないだろうか。 
「だから、E棟の中には絶対いるんだって!」 
 甲高い怒鳴り声が聞こえた。見ると、先ほど走り抜けていった黄色いリボンの制服達だ。高学年ほどの背恰好をしている。何人かで言い争っているようだ。 
「だから、まずE棟ってなによ。見たことないじゃん」 
「旧校舎ってのは無しだよ。あれはいなかったもん」 
「旧校舎じゃないよ! あそこじゃなくて、本当のE棟」 
 一人の少女が激昂していた。私の位置からでは後ろ姿しか見えないが、ピンクのリボンで長い髪を束ねている。彼女に対して、周りの友達が揶揄しているようだった。 
「本当のE棟ってどこよ。そんなの聞いた事ない」 
「西校舎の裏にある、物置みたいな場所。鍵がかかってて、入れないでしょ」 
「あそこお? 全然そんな感じじゃないよ。ただのぼろい小屋じゃん」 
 その場所は、私も知っていた。初等部寮であるF棟の傍にある、薄汚れた平屋の建物だ。大分昔から使われていないらしい。この学校には、そんな投げ出された建物がいくつもある。 
「行ってみれば分かるって」 
「どうやって行くの。鍵かかってるんでしょ」 
 言われて、ピンクのリボンは声を潜めた。だけど、甲高い声色は、騒がしいこの場所でもしっかりと聞こえてしまった。 
「建物の裏の窓。あそこ、鍵が壊れてるの」 
 初等部生達はお互い顔を見合せ、目配せをしあっていた。そのうち、一人が階段を駆け上がると、その後を追って全員がいなくなった。 


「E棟の怖い話って、知ってる?」 
 私は隣に立つ愛海に聞いた。さきほどから黙っている愛海は、きっと私と同じように初等部生の話を聞いていたのだろう。 
「深夜二時に、幻のE棟が現れるって話なら」 
「それ、中学の時に先輩が自分で作った話だって言ってたよ」 
「まじで」 
 愛海は大して驚いた風もなく言った。この学校には、E棟に関する怪談がいくつもあるのだ。学生寮がA棟からG棟まであるのだが、その内のE棟だけがなぜか存在しないせいである。そのため、上の世代から下の世代に、E棟に関する怪談を伝える伝統まで出来上がっていた。 
「あの子たち、肝試しするのかな」 
 私は、初等部生達が去ってった階段の先を眺めながら言った。お化けなど怖くない、といった気の強そうな子供達だったが、本当に怖いのは多分お化けではない。 
「夜に寮の外に出るのは、幽霊よりも怖いけどね。知らないのか」 
「まだ、初等部だしね」 
「あのときは、まじで殺されるんじゃないかと思ったもん」 
 昔、外出禁止の夜中に脱走を見つかったことは、今も忘れられない恐怖として残っている。怖いのは幽霊では無く、一部の教師陣だ。 



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