3−3

 裏のカフェというのは、渡り廊下を抜ければすぐそこだった。古い洋館の様な作りをしていて、学校で経営しているとは思えないほど洒落た店だった。オープンと書かれた、布でできた蔦の絡まる扉を開けたとき、時間は二時半を過ぎたところだった。 
 中には、城戸さんらしい人影はなかった。私達四人はウェイトレスに窓際の四人掛けの席に通されたので、私と十七が並んで座り、英理子ちゃんと悠斗さんに向かい合った。あとで城戸さんが来るので、もっと広い席を取った方が良かったかもしれないが、それを言う前にウェイトレスは水とメニューを置いて去って行ってしまった。まあいいだろう。何とかなる。私は頬杖をついて、広い窓の景色を眺めた。 
 英理子ちゃんの言うとおり、窓からは中庭のもっとも美しい部分が見えた。痩せて長い木が窓の両脇を飾り、中央には小さな水の流れが、木漏れ日を反射してきらめいていた。流れに沿って鮮やかな花が並び、間を埋めるように瑞々しい芝草が植えられていた。切り取られた一枚の写真のようだ。木々は、風に揺れる事もない気がした。 
「悪くないでしょ」 
 英理子ちゃんが自慢げに口の端を持ち上げた。 
「まあね」 
 小さくオルゴールの曲が流れている。主張せず、だけど確かに存在する、この店に溶け込んだ空気みたいだった。 
「静かだし、お茶が美味しいの。一人のときはここで過ごす人も多いのよ。だから、店の中に本棚なんかもあっ」 
 英理子ちゃんの言葉は途切れてしまった。私達の座るテーブルの前に立ち、会話に割り込んできたものが居たのだ。「またか」と英理子ちゃんは呟いたが、確かに話を遮られるのは今日二度目だった。 

 子猫の様な癖っ毛をした少年だった。悠斗さんや十七と同じ黒く透き通った硝子の瞳をしている。彼が一都さんだ。名前を持つ三人のロボットの内、二人も同時に目にするなんて、高等部の入寮式以来だった。 
「ねえ君たち、僕とお話ししない?」 
 まるで誰かに聞かせるように大きな声で古臭い台詞を言ってのけた後、一都さんは目を伏せた。真逆の口調で、今度は声を潜めて謝罪をする。 
「すみません、軟派な男を演じるように言われたんです。少しだけ付き合って頂けませんか?」 
 私は英理子ちゃんに目をやった。しかし、英理子ちゃんは私を見ずに、注意深く店内を見回していた。同じ席に着く十七と悠斗さんにも目を向けたが、反応らしい反応は無かった。仕方がなく、返事を待つ一都さんに私が答えた。 
「悠斗さんや十七がいる私達よりも、もっとナンパしやすい子はいると思いますよ」 
「そうですけど、迂闊な事をすると後で大変になるんです。舞子さんや英理子さんは、私に対して特別に何か期待してはいないですから」 
「へえ」と私は声を出した。他に答えようがなかったからだ。 
「あと腐れは無い方がいいんです。それは少女の心を傷つける事になり、人間を傷つける事になってしまいますから」 
 それにしても、わざわざ軟派な男を演じさせるなど、変わった趣味をしている。他の人と仲良くしている様を見て喜ぶのだろうか。 
「違うよ」 
 私は何も言っていない。だけど、英理子ちゃんは見透かしたように答えた。 
「自分だけが本命だという事を認識するためにやるの。つまり、ナンパしている一都の前に姿を現して、一都に言い訳をされたいのよ。ほんの出来心だ、本当に好きなのはお前だ、みたいにね」 
 私は他に言葉が無いみたいに、「へえ」を繰り返した。要するに迂闊な相手をナンパすると、取り合いのけんかになってしまうということだ。 
「お願いできますか?」 
 一都さんは表情だけはにこやかに、弱ったような声を出した。 
「私は構わないけど」 
 英理子ちゃんを見ると、彼女も頷いてくれた。 
「座る場所無いけどね」 
 苦笑いをしながら、英理子ちゃんは私に目配せをした。入口の傍の席を示し、小声で囁いた。 
「あそこの子が、多分一都の雇い主だよ。ずっとこっち見てる」 
 私は横目で、入口近くに座る女子生徒を眺めた。上品な美貌を持った少女は、私達の僅かな動きも見逃さないように監視していた。 
「大変だね」 
 私はしみじみと感じた。傍に居て話をするだけでは飽き足らず、面倒な芝居を打ってまで恋を盛り上げようとするのか。理解できないとは言わないが、共感はし難かった。 
「そう言っていただけるとありがたいです。英理子さんや外部生の皆さんは、そう難しい注文をしないので助かりますよ」 
「そうですか?」私は反射的に十七を見た。十七には結構我儘な事を言っている。私に顔を見られた途端、十七は体を固くした。 
「……そうですね」 
 十七は私が言った事を律儀に覚えていて、いつもよりは若干間を短くして返事をした。しかし私自身は、十七の態度を見るまで彼に言った事を忘れていたのだ。もちろん、忘れていたらしい素振りは見せない。 
「もう少し早く」 
 偉そうな私に、十七は僅かに瞳を伏せた。落ち込んでいるようだ。十七は意外と傷つき易い。 
 一都さんはそれを見て目を細めた。水が流れるように、無駄無く滑らかな動きだった。これが名前を持つロボットの実力だ。十七は笑顔を作る事も時間をかけなければ出来ない。 
「B棟の方々は、私達には人気があるんですよ。気さくで、親切です。私達にも出来ないことがあると、認めてもくれます」 
「そんなにいい人達ではないと思いますよ」 
 私は、B棟に住む人々を思い浮かべた。気難しい人もいれば、どうしようもなく意地の悪い人もいた。 
「長い時間借りられないから、単純な要求しか出来ないんですよ。朝起こしてほしいとか、仕事を手伝って欲しいとか、そのくらいしか」 
 丸一日傍に居てくれるのなら、また変わってくるのだろう。しかし、一都さんはゆっくりと首を横に振った。 
「それが、AとBの違いですよ」 
 それから、英理子ちゃんの方を向いた。 
「不快な話でしたか?」 
「いいえ、私も確かにそう思うから。ここはおかしいもの」 
 英理子ちゃんは両手を組み合わせると、窓の外を向いて呟いた。硝子に透けた英理子ちゃんが映った。長い髪が、規則的に風向きを変えるクーラーに揺れている。 
 一都さんは窓に向かう英理子ちゃんに、呼びかけるように言った。 
「あなたは、きっと真っ当だと思いますよ」 
 英理子ちゃんは一都さんには振り返らず、小さく頭を上下させた。一都さんはそれを見てから、初めの様に声を落とした。 
「付き合わせて申し訳ありませんでした。もう大丈夫です」 
 いつの間にかテーブルの近くに、入口に座っていたはずの少女が立っていた。両手を握りしめ、眉間に皺を寄せているが、瞳は何か期待するように輝いていた。 
「一都! 何をやっているのです!」 
「お、お嬢様。見ていらしたのですか」 
「いつも知らない女の子に手を出して、私の事を好きだと言ったのは嘘なのですか?」 
 あまりにステレオタイプな小芝居が始まって、英理子ちゃんは溜息をついていた。私から見れば新鮮なのだが、英理子ちゃんはうんざりしているようだ。 
「頻繁にこういう事があるの?」 
「色々とね」 
「へえ」と、私は何度目か分からない同じ返事をした。 

 城戸さんはまだ来ていない。英理子ちゃんは、遮られた話の続きを始めた。隣で誰が騒いでいようと、知った事ないという風に、ごく自然に切り出した。 
「本棚もあるんだよ、ここ。ゆっくりしていけるようにって」 
 英理子ちゃんは店の隅にある棚を示した。観葉植物よりも背の低い棚は、ピンク色に染まっていた。カバーの色が揃って淡いピンク色をしているのだ。小さな棚に詰め込まれた本は、いくつかは入り切らずに無造作に棚の上に置かれている。 
「あれ、全部少女小説なの」 
「全部?」と、私は思わず聞き返した。信じられない量だった。世の中にあるピンクの文庫本を、一堂に集めたようだ。 
「全部。しかも、内容もほとんど同じで、主人公がお金持ちの令嬢で、身分違いの恋をする話。使用人だったり、庶民だったり、奴隷のときもあるのよ」 
 英理子ちゃんは深く息を吐いた。 
「世間知らずだからか知らないけど、影響を受けやすいみたいなの。私も含めてね」 


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