6−3

 事務室には暇そうな係員がひとりふたりと、ロボット貸出しの機械の前に並ぶ生徒達がいた。特に変わった事があるわけでもないので、並ぶ人も多くない。十分もすれば私に順番がまわってきそうだった。壁にかかる時計は八時二十分を指していた。 
「やあ、舞ちゃん。今日は誰を借りるつもりかな?」 
 背後から陽気な声が話しかけてきた。振り向くと、やはり彩樹さんだ。満面の笑みを浮かべながら、手の平を見せている。 
「久しぶりですね」 
「久しぶり。ちょっと用事があったからね」 
 彩樹さんは私の隣に並んだ。後ろの女子生徒が不愉快そうに眉根を寄せたが、彩樹さんは気付いてすらいないようだ。 
「大学に戻ったんじゃないんですか? 前に、四ノ宮さんがどうとか言っていましたよね」 
 最後に会ったとき、四ノ宮咲さんに何か伝えようとしていた。あの切羽詰まった様子は忘れられなかった。彩樹さんは私を見ると首を傾げ、少しだけ笑みを歪めた。 
「そうだったね」 
「どうしたんですか」と私は聞いた。彩樹さんがいかにも言い辛そうにしているのは分かっていたが、聞いておくべきだと思った。彩樹さんは多分、その事について何か言いたいのだ。だから私に話しかけたのだろう。 
「咲は退学になったんだよ」 
「退学」 
「そう。だから僕はもう、大学にいる必要もなくなったんだよ。実は、出入りも禁止になっているんだけどね」 
「何かあったんですか?」 
 私が聞いても、彩樹さんは答えなかった。ただ微笑みながら、私の髪を雑に撫でるだけだった。 
 私が機械操作をしているとき、彩樹さんはずっと横から見ていた。居心地が悪かった。この機械で、大学では彩樹さんの貸し出しをするのだ。一体どんな気分がするのだろう。自分が物のように貸し借りをされるなど、私には身震いがするほど不愉快だった。そう思うと、操作をする私自身も最低の人間になってしまった気がした。 
「舞ちゃん、君は隼人を借りたりはしないのかい?」 
「隼人さん?」 
「高等部は、隼人か悠斗なんだろう? 予約でいっぱいだと聞いたけど」 
 私は機械の音声よりも早く機械の操作をしながら、彩樹さんを横目で見た。 
「いっぱいだから、借りられないですよ」 
「そうかな」 
 彩樹さんは私を、私の中にある何か探すように見つめた。何かというのはどういうものか分からない。本当に探しているかも知らない。 
「頼んでみようとは思わない? そうだな、恋人のように振舞ってもらいたいとか」 
 私は驚き、何度も首を振った。 
「思わないですよ。恥ずかしいじゃないですか」 
「恥ずかしい? だけど彼は君の思い通りに動いてくれるよ」 
「そんなことされても」 
 嬉しくない。理想の恋人に憧れないわけではない。自分の思い描く男の人を考えた事がないわけではない。しかし、やはり私はそれをロボットに求める事は出来なかった。 
「どうしてだい? これは世界中の女の子の望みだと思うけど」 
 彩樹さんは不思議そうに首を傾げた。しかし、彩樹さんはその理想の恋人を演じる側なのだ。その事を不快には思わないのだろうか。 
「本当に好きになったら大変じゃないですか」 
 料理中にした、英理子ちゃんとの会話を思い浮かべながら言った。本気で恋して、忘れられなくて、逃げられなくなる。そんな不毛な事はしたくない。 
「本気で好きになるのはいやなんだね」 
「与えたものと同じものが返って来ないですから」 
 そう言うと彩樹さんは肩をすくめ、呆れたように私を見た。 
「愛情とは、見返りを求めないものだよ」 
 何を恥ずかしげもなく、と私は思った。あまり夢中になってはいけないと言ったのは、彩樹さん本人なのだ。私は唇を尖らせながら、取り出し口から出た紙を見た。 

 辰哉の部屋は相変わらず汚かった。女ものの服ばかりが散らばっているあたり、辰哉が散らかしたわけではないだろうが、片づけをしないのは辰哉が悪い。 
「お姉ちゃん、何か用?」 
 辰哉はベッドの中から這い出て、私の顔を見ると言った。 
「寝てたの? こんな時間に」 
「だってすることないんだもん。外には出られないし、それに注射されたから一日あんまり運動するなって」 
「別に走ったりするわけじゃないんだから」 
 私は服をかき集めながらベッドの縁に向かった。中にはきわどいスリットの入ったスカートや胸元の大きく開いたシャツもあった。一体辰哉に何をさせようとしているのだろう。 
「辰哉、今日注射したんだってね」 
 私はそのことを、辰哉が言うまで全く忘れていた。ベッドの横に腰掛けると、服をたたみながら辰哉に聞いた。 
「そう、女の先生が来て、予防接種だって言ってた」 
「砂川先生だね」 
「あの人、砂川先生って言うんだ」 
 辰哉は私に顔を向けながら、遠くを見るような目をしていた。眠たいらしい。欠伸をしながら、たまに目を擦っている。 
「あの人、いい人だね」 
「なんで」と私は言ったが、この言い方は砂川先生に失礼だと思った。砂川先生に不満があるわけではなく、辰哉がそう言う事に疑問があるのだ。 
「何かしてもらったの?」 
「助けてもらったよ」 
「注射?」 
 辰哉は首を横に振った。まだ寝惚けた顰め面だった。 
「もっと前にも、色々……」 
「色々って何」 
 そう私が聞いたとき、辰哉は再び体を横にしていた。私を見る瞳は、たまに開きよく閉じている。なんとか返事をしようとはしているらしいが、出てくる言葉は意味が分からなかった。 
「いろいろ。ずっと、お礼を言いたくて」 
 間延びした声で最後に言った後、辰哉は完全に目を閉じた。私は慌てて肩を揺さぶる。まだ、私の用事が済んでいないのだ。 
「辰哉、まだ寝ないで。これからロビーに行くんだよ。もうすぐ九時だから」 
 辰哉は不機嫌そうに唸っただけで、起きる意志もないようだった。 


「どうして集合場所をロビーにするかな」 
 高木さんが私に漏らした。今日も三階ロビーには人が集まっていた。テレビの音や騒ぎ声や、走りまわる足音でやかましかった。 
「私が、信頼できる人、と言った意味を分かってないのか」 
 高木さんは俯きながら、ずれた眼鏡を直した。上目で私を見ながら、眉を顰めている。 
「あんまり人に聞かれたくないんだよ」 
 高木さんの表情は、私に対する呆れだけではないように見えた。複雑な思考が顔中に表れている。 
「前はみんなで、ここで聞いたのに?」 
 私は辺りを見回しながら言った。仲の良い人ばかりでもないが、大悪党がいるわけでもない。ラジオの存在自体を隠したいのならば、前回のときにも人を選んでおくべきだっただろう。 
「下手したら、パニックになるからね。場所を変えよう。多分私の部屋でいいだろう」 
 私は頷いた。そう言われてしまえば頷くほかにない。ラジオからは、何か私達にとってもみんなにとっても都合の悪い事が流れているのだろう。私は気を引き締めて、高木さんの後を追った。 



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